98年09月30日(水曜日)

 ははは、さすがに昨日の話は少し「寒い」と考えましたが、読んでいる人がどういう反応を示すかと思っていたら、あちこちから「どうしたんですか」とメール。白井さんなぞは

どっ、どうかされましたか?

 8月8日のパーティーでご一緒させて頂きました、しらいです。いつも楽しくCyber Diaryを拝読しています。

 さて、「つるとおじいさん」のはなし。いつもと趣向が異なり、伊藤さんの身に何かあったのではないか心配になり、キーボードにむかっています。

 時節柄、ご自愛を祈念いたします。

 時節柄、ご自愛......はないでしょ。「何か」と言えば、火曜日は超忙しかったのです。ダイヤモンドの原稿で竹田さんからは迫られる、人は沢山来る.....で。そこで昔何かのおりにディスクに入れていた「昔話」を引っぱり出してきたというわけ。
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 で今日はゆっくり時間がありまっせ。というのは、金沢に移動しようとして問題(^o^)が起きた。要するに遅れたのです。飛行機の出発予定時刻5分前に羽田に着いた。うーーーー、乗せてくれなかったんですな。金沢なんてそんなに便があるわけじゃない。で、3時間も「待ち」になった。どうしようと思いましたが、ふっと気づいて3500円出してスーパーにして、ラウンジで粘りまくりました。いいですよあそこは。メチャ速いインターネットは使いたい放題だし、飲み物は際限なくあるし。で、何をしたか。

 内藤君がもうばらしているので正直に言うと、やはり健康のことを考えて505Gを買ったのです。で、その使い勝手をこの時間を使って調べながら、いろいろ文章を書いていたというわけ。遅れたのは自分の責任でもあるが、JRの責任でもあると思うな(^_^)(^_^)。なにせ最近の中央線はひどい。どうにかしろと言いたい。でも今日はきちんと走っていたか ?

 まあ金沢でもほんちゃんの予定は明日ですから、金沢には電話して「すまん....」と昔の部下に謝って、「うーん、せめて講演を内容のあるものにしなければ....」と考えていた次第。金沢は過去数回行っていますが、小松から遠いのです。大分もそうですが、空港から遠い都市はなんか行きたくないですね。数日いるのならよいのですが、2日くらいで行って帰るという場合は、空港と都心が遠いのはたまらん。
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 久しぶりにインターネットをオンにして講演をしようと思っているんです。まあ向こうの希望を聞くと、要するに社員にはっぱをかけたいらしい。そしたら、こんなこともできる、こういうこともできると見せてやるのが一番よい。いろいろオーダーメードでやれるというわけです。ですから、買ったばかりのこのマシンがうまく動いてくれるかどうかは死活的に重要なのです。何とかうまく行きそうですが。


98年09月29日(火曜日)

「つるとおじいさん」

 ある日つるは、おじいさんに

 「これから私は隣の部屋に入りますが、私が部屋から出てくるまでは、けっして、けっして、部屋をのぞかないでくださいね。約束ですよ。」

 そう念を押して、隣の部屋へ入っていきました。障子がしまると、隣の部屋からはガタガタッ、ガタガタッという音がして、しばらくすると静かになりました。

 静かになること一時(いっとき)が過ぎ、また一時が過ぎ・・・おじいさんは気が気ではありません。つるとは約束をしましたが、やっぱり、どうしても隣の部屋をのぞいてしまいました。

 すると、どうでしょう!!!

 隣の部屋の家財道具いっさいがっさい無くなっているではありませんか!!!

部屋の中はもぬけの殻でした・・・

 そうです。「つる」は実は「サギ」だったのです。

 ひどい話です。
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 つるは、おじいさんに

 「これから私は隣の部屋に入りますが、私が部屋から出てくるまでは、けっして、けっして、部屋をのぞかないでくださいね。約束ですよ。」

 そう、念を押して、隣の部屋へ入っていきました。

 障子がしまると、隣の部屋からはガタガタッ、ガタガタッという音がして、しばらくすると静かになりました。

 静かになること一時(いっとき)が過ぎ、また一時が過ぎ・・・おじいさんは気が気ではありません。でも、つるとの約束です。おじいさんは3日待ちましたが、やっぱりつるは出てこないのです。とうとうその翌日、おじいさんは隣の部屋をのぞいてしまいました。

 すると、どうでしょう!!!

 部屋には、つるが死んで横たわっていました!!!

 そうです。「つる」は実は「ガン」だったのです。

 悲しいお話でした。


98年09月28日(月曜日)

 先にニューヨークに行ったときに会いたかったものの、そのときは彼がシドニーにいて会えなかったマイケル・イバノビッチがわざわざ青山のオフィスを訪ねて来てくれて、1時間ほど話をしました。ははは、何時会っても彼は明るくて良い。まあ、アメリカ経済、世界経済、そしてなによりも日本経済に対する見通しが明るいことが特徴ですが。

 なにをしていた人か。経歴はなかなかのものです。この会社(MSI Global)を設立する前には、OECDに11年間つとめ、最後は上席エコノミストとして「Quarterly Financial Trends」の執筆を担当。その前10年間はニューヨーク連銀でインターナショナル・エコノミスト。その間にコロンビア大学で10年間、経済学・国際ビジネス及び世界経済を教えたり、ヨーロッパのトップクラスのビジネス・スクールで教鞭を執ったことがある。

 話すとすぐ分かるが、学生に教えていただけあって「含める」よう。まあ、彼らにしてみれば英語が完璧でない我々日本人は生徒のように写るのかもしれない。私のほかにあまり英語が得意でないもう一人がいたのですが、彼も「あの人の話は比較的分かった」と言っていた。
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 「あなたは毎日(日本に)いるからわからないかもしれない。しかし、私は日本に来るたびに大きな変化を感じることができる。昨日だかビザ屋に行ったら今まで決してなかったモレッティがあった。大好物だけに、これには感激した。少し前だったらなかった。日本経済は変わってきている」

 「しかし、変わってきていると言っても、日本が faster implementation (より敏速な対策の実行)を求められている事実は変わらない。日本は立派なエンジンと車体は持っているが、トランスミッションがなってない」

 などなど。市場を開放し、規制を緩和し、政府を小さくすれば、どの国の経済もうまくいくという比較的単純明快な論理を持っている人で、日本の場合はそれに加えて「機敏・敏速な金融システムの健全化」が必要と指摘。29日に連邦準備制度理事会が利下げをするかどうかについては、「する。それはアメリカ経済が弱くなってきたからではなく、ヘッジファンドの行き詰まりなど、アメリカの金融システムに懸念材料が強まっているからだ」「この利下げの結果、アメリカ経済は99年の半ば以降、ブームになる」と指摘している。

 まあ常識的なところですが、気に入ったのは私と同じく日本経済の再生に「公共投資」の必要性をあまり強調しないこと。これは私も強く思います。公共投資は実際に政府の資金を使いますから、かならずGNPなどの数字は持ち上がる。成長がきたような錯覚にとらわれるわけです。しかし、それはカンフル注射を打たれているにすぎない。なぜなら、消費という日本で6割、アメリカでは7割を占める持続的支出がフォローしなければ、経済の継続的成長などできはしないからです。だから「景気刺激」というと「財政出動」しか考えが及ばない日本はひどく発想が貧困な国だと思う。

 必ずしも同じ意見ばかりではなかったものの、こうしたいくつかの点では考え方を共有できた。また会って、いろいろな問題を討議したいものだ。


98年09月27日(日曜日)

 新宿のヨドバシカメラに「一太郎9」(狙いは Atok12ですが)を買いに行って、久しぶりにあちこちを見て回りました。いろんなソフトが出ているんですね。しかし、どれも「革命的」な印象はしない。コンピューター産業も、やや「改善」のモードに入ってきた印象がする。ヒトの動きも以前ほど激しくなくて、落ち着いてきた。

 ただし人が集まっていたところはいくつもありました。まず、i-MACの周辺。3階にコーナーがあって、人だかりがしていた。私も実物を見るのは初めてだったので、ちょっと見たりさわってみましたが、いくつか気づいた点がある。まず先日私が「マックのおもしろい点」として書いたキーボードの出っ張りが古い機種の「D」「K」の上ではなく、Windows Machineと同じく「F」「J」の上にあった。まあ、これが主流になるのでしょう。しばらく使ってみましたが、抜群に速くなっている。処理がです。しかし気を引かれるのはなんといってもあの形、色です。確かに今までになかった。「デザイン賞」は確実です。重さは20キロくらいあるそうですが、そういう感じがしない。軽い印象。ただしスクリーンが少し見づらかった。確かに余分なお金でも入ったら、一台買ってみたくなるデザインをしている。17万8000円と表示してあった。ただし、FDD が内蔵されていないのでは.....。

 次に人が集まっていたのは、ソニーが「ノートブックコンピューター」として売り出している「PCG-C1」。VAIOグループの新しいメンバー。キーボードは505系とほとんど同じ大きさ、サイズです。705を使っている小生から見ると、ちょっと小さいけれども、まあ扱えないことはない。このマシンの最大の特徴は、カメラが蓋に内蔵されている点。マシンとデジカメを両方持ち歩くのは正直大変です。ですが、このマシンが一台あれば、デジカメは必要ないことになる。ただし、画像の質はチェックしてありません。

 このマシンは内藤君が買うとか、買わないとか書いていたから彼の報告を聞いてからでも考えよう。出張には確かにこの程度のマシンがあっている。重さは1キロちょっとで、505よりさらに数百グラム軽いという。ただし、CD-ROM から FDD まで別売だから、それを予算に入れないといけない。本体価格は、22万ちょっとだった。肝心の Atok12 の使い心地はなかなか良い。変換速度が速くて、精度が確実に上がっている。
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 移転と異動の通知を印刷し始めたのですが、この「印刷」だけは時間がかかることこの上ない。葉書を数百枚するとなったら、大仕事です。この印刷のスピードアップはどうにかならないものでしょうか。ほっておけば良いようなものの、何かトラブった時の為にプリントはしばしば監視に行かねばならない。


98年09月26日(土曜日)

 勉強会仲間の内藤さんがナショナル証券を退職するのを機に、とりあえず四国に帰るというので、都合のつくメンバーで新宿・三笠会館に午後から集まって送別会。「魚介スープ」「ペペロンチーネ」を食べながら...というわけです。内藤さんとは本当にいろいろなところに行きました。韓国には3回ほど一緒に行ったし、名古屋でお互いの講演を聞きあったこともある。株で何か分からないことがあると、話しを聞く一人でした。

 退職に当たっては、あちこちから話しがあったらしい。しかし、全部断って今回はいったんは四国の徳島に帰るという。でも、「(東京に)また来ますから」と。退職と言ったって、極めて元気だし、まだまだやれる人であるわけで、今後ともご活躍をと思います。

 それにしても、この勉強会の仲間は五月蠅い。よく喋る人間達の集団ですから、個室を取ったのですが、それでも回りに迷惑ではないかと思うくらい。ここで表記できないような表現がいっぱいありましたが、皆で笑い転げてました。まあ、一番うるさく笑ったのは、「片山」「吉田」「永田」のスタンレー3人娘だったとご報告しておきましょう。


98年09月25日(金曜日)

 今まで触れたこともなかったマッキントッシュにたった1〜2時間ですが、触りました。というのも研究所のコンピューター・システムは、なんとマックで出来ているのです。私の部屋にはウィンドウズ・マシンが既に2台(一台はインターネット用、もう一台は銀行のネット用)が用意されているので、各種ネット接続からファイル作成など各種作業はそれで事が済むのですが、研究所の独自ネットにも接続しなければならない。そこで、マックも入ったというわけ。

 朝から少し。教本をちらちら見ながら起動、アプリケーションの活用、システム終了など色々やりました。別に自慢しているわけではなく、あっと言う間に一応出来るようになった。確かにユーザー・フレンドリーだ。Eg word なんてのも初めて使いましたし、Teach Text も。辞書がATOKですから、話しが早い。全体にそれほど苦もなく入れたのですが、いくつか気が付いたことがある。これはウィンドウズから入った人間の単なる印象ですから、マック族の皆様には気分を悪くしないで欲しい。驚いたこと。

  1. ウィンドウズのキーボードには「F」「J」の上に印の出っ張りがあるのに、マックのキーボードでは「D」「K」にある。つまり一つ外にずれている
  2. 最初FDDに入れたFDをどうやって出すのか分からなかったが「ファイル」のプルダウンの中に「片付ける」というのがあることを発見して、おかしいやら驚愕するやら
  3. マウスに「右」クリック、「左」クリックがないこと。これは少し慣れるのに時間がかかった
  4. 何かをプルダウン・メニューで実行する際のマック・マウスの継続的押下の必要性
 など。しかし、一方でマックのマシンの方が理にかなっていると思える部分もあった。例えばWindowsでは、デスクトップ上にFDDのショートカットアイコンを置くと、FDが入っていなくてもそのアイコンは残っている。しばしば、FDの入っていないアイコンをクリックすることになる。しかしその点マックは合理的で、FDDにFDが入って初めてデスクトップに表示される。また再起動を要求すると、何もせずにFDを吐き出してくれる。ウィンドウズではこれはしてくれません。

 「私のマック」はまだネットに接続していない。ですから、本当の使い勝手はこれから分かるでしょう。かなり古いマック機種をもらった。他の人はマックが主力ですから、もっと新しい機種を使っていますが、小生のマックは研究所内のメールの授受くらいでしょう。まあ、十分というわけです。マック特性の「freeze」には遭遇していません。しかし、使っている人によれば多いという。早く初体験したいものです。(^o^)
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 木村さんが、「船の博物館」ではなく「船の科学館」では、と教えてくれた。昨日の文章に関連してです。とすると、小生はどこに電話してあれを聞いたんだい......
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 都内某所で、ロバート・レッドフォードを見かけました。見かけたというより、3メートルくらい離れたところに1時間ほど座っていた。皆で、「彼も歳をとった」とかいって、ほんの少しの間話題に上りました。時々老眼鏡をかけていた。いくつだかしりませんが、まあそりゃ人間誰でも歳は取りますよ。8人くらいのパーティーでいたようですが、常に話題の中心にいて、よく喋る。なかなか活発な人間に見えた。今は主に監督稼業ですか。


98年09月24日(木曜日)

 今朝も眠い。起きたのが4時過ぎ。テレビ東京に着いたのが、5時45分くらい。日米首脳会談が終わった直後ということで、ニューヨークに行く前から出演する予定だったもの。先にお知らせしたとおり、「Market Live」は9月一杯で終わって、まあ拡大・強化される形で新番組に引き継がれるのですが、内山さんと吉野さんはあと数日で、「The End」ですから、記念に写真を一枚撮りました。

 (^_^)(^_^)この番組には、お世話になりましたし、お世話しました(^o^)。出るのはいいのですが、とにかく眠い。私のように、家を出れば25分で着くというのはまだよい方で、遠い人はどうしていたんでしょうな。たぶん、3時起きとか。でも、番組で言い忘れたのですが、相場は朝が肝心です。朝にアイデアが浮かび、朝にポジションの操作について閃きがある。小生も「朝一ポジションは成功の確率が高い」とずっと思っていました。

 で、番組の最後に言おうと思っていたのです。「マーケットで”こいつは出来るな”と思う奴は、この番組を見ている」と。実際には時間がなくなったので言えなかった。そこでここで書いておくというわけです。新しい番組がどういう形になるかは大体聞いていますが、朝の市況番組の骨格は大体あの形しかないでしょう。

 ところで、もう一枚の写真は私と半年間「東京マーケット・フォーカス」をやっていた岡山 玲子さんの連れ合いになる方です。大木 努さん。局内にデスクとしていらっしたので、記念撮影というわけです。(^_^)(^_^)
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 ところで、今日は一つお勉強しました。番組が終わるのが午前6時15分。まあどこにもいけない時間。関係者と連れだっていつも食事に行くのですが、ちょっと足を伸ばしてお台場まで行った。そこで発見したのは、「船の博物館」の建物の上に点滅している「I」「O」「F」「×」などの記号。この記号は、横浜港でも、その他の港でも見ることができる。で、「あれは何だ」ということになった。

 調べたらおもしろかった。こういうことです。

海上保安庁の水路部が定めている港則法によるもの。東京湾では500トン以上の船について
  1. 「I」は「IN」の略で、その意味は「500トン以上の船の入港が優先」
  2. 「O」は「OUT」の略で、「500トン以上の船の出港が優先」
  3. 「F」は「FREE」の略で、「500トン以上の船の運行予定はないので、自由に他の船は航行せよ」
  4. 最後に「×」印は、「注意信号のようなもの」
 と船の博物館の方に教わった。つまり、東京湾での500トン以上の船の運航を司り、他の船に大きな船の運航と、自分の船との運航の間合いをとらせるものらしい。

 これは港の大きさによって違うという。たとえば、門司港は「300トン」が目安だという。何でも調べると勉強になりますな !!



98年09月23日(水曜日)

 冴えない天気の一日でしたね。ウーン、ここまでいて「天気はニューヨークの方が良かった」という印象。何せ、雨が一日も降りませんでしたから。日本に帰ってきたら、暑いか雨が降っているか。日本には秋らしい日はないのか......

 新しい場所にはだいぶセトルした。全戸(拙宅を含めて6戸)に挨拶したが、面白そうなマンションだ。フランス人が奥さんで、「彼女は英語は大丈夫」なんてお宅もあった。ほぼ全戸の共通の課題が「ISDN接続」であることも判明した。ビルは10年前のしっかりした作りでホームテレホン・システムなどがあるために、逆にISDN回線を引き込めなくなっている。うち、一戸と我が家は何とかISDN接続しているが、これはビル全体で解決した方が良いので当面はこの問題の処理が課題である。
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 久しぶりの人からメールが来た。小生のネットの立ち上げに大いに協力してくれた西村君から。今彼は退職して、新企業の立ち上げの作業中である。

 昨年退職した西村です。

 お久しぶりです、関西では今回の台風7号は大変な影響がありました。話は変わりますが、数ヶ月間いろいろなことをやりながら事業について調査を行ってきました。ここでわかったことですが、

  1. ソフトウェア産業のうちプログラム開発の分野は、すでに巨大産業になり大会社がひしめき合う状況になったため、零細事業者が参入することは難しくなり、今後は急激な成長は見込めない。
  2. やはり情報内容(コンテンツ)関連の産業が有望だが、それは決して世に言われているようなマルチメディア産業ではない。マルチメディア需要はマスコミ、CM、アニメ、映画、ゲームなど限られた分野の需要しか存在せず、それらの産業が急激に成長するとは思えない。インターネット分野での需要は増加するものの、インターネットを見る時間の増加はテレビを見る時間の減少につながり、全体のパイはそう大きくならない。
 こういったことを考えていくと、どうもこのインターネット戦国時代の天下をとるの は、「電子商取引」以外には考えられないような気がします。もちろん電子モールのように入り口が1か所ではダメで、入り口はもっと大量のホームページから商品にたどれる仕組みがなければダメですね。いずれインターネットは、吐いて捨てるほどの商品情報の氾濫に見舞われるでしょう。

 私も近い将来、電子商取引に参入しようと考えているのですが、まずはFB、HBの環境設定、コンサルティング等で起業しようと案を練っています。住友信託銀行とも協力関係を結ぶ方向で行けそうです。

 ネットの世界がどう広がるかは実はよく分からない面がある。グリーンスパンも言っている。「新しい技術が発見されたとき、それがどう汎用に使われるようになるかは実は予測できないものだ」と言っている。だから、ネットも今言われているような「マルチメディア的使用法」以外に、別の方で主流になるのではないかと思う。一つ大きな候補なのは西村君も言っている「電子商取引」だ。

 一つ言える事は、人々が買うのは「利便性」だということ。説教じみた話より、具体的なメリットに人々は飛びつく。とすると、「電子商ビジネス」というのは、利便性(買い物時間の短縮、商品も閲覧、チェックなど)を持っているわけだから、伸びる可能性がある。マルチメディアはお題目としては良いけれど、彼が言っているように「1日が24時間」という制約がある限り、あまり伸びないのではないだろうか。多分、日常的な事で時間が浮いたら、それが振り変わるのだと思う。古代の人間はただただ「生きる」ために時間を使った。狩りをしたり、穀物を作ったり。それで終わっていた。生産性が上がって、文化が生まれた。だから、何かに時間がかからなくなるとなれば、人々はその為の機器を買い、好きなことをする。

 今のところ、ネットを人々は「時間を使わされるもの」と理解していて、「時間が生み出されるもの」と理解していない。でも、買い物など、えらく便利になって時間が生まれるようなら、人々はそれを使いこなそうとするだろう。今はそこまで行っていない。

 も一つ思うのは、「住友信託銀行とも協力関係を結ぶ方向で行けそうです」と書いている点。そういう時代ですよ。退職した会社とだって、いつでもアライアンスを結べる。彼の最新のホームページは以下のところにあります。彼は、ホームページ・オーナーとしては私より遙かに古い。
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 24日の朝は、もうすぐ終了するテレビ東京の「Market Live」に多分最後の出演です。名残惜しい番組ですね。それと、ワシントン・ポストにJohn Berryの記事がある。グリーンスパンと一番近い記者と言われている。この記事だと、29日のFOMCは「利下げ」の可能性が高いようだ。


98年09月22日(火曜日)

 今年の4月19日にこんなことを書いていました。  

 たまたま週末2日間ともテレビでナイター中継を見ましたが、自分なりに「なぜジャイアンツが伸び伸びと野球ができないか」「強く見えないか」が分かったような気がしました。まだ二つ勝ち越しているチームに失礼かもしませんが、いまのままでは選手は疲れてしまう。

 一言で言えば、「捨てゲーム」がないのです。何時も「このゲームは大事だ」とばかりに勝ちに行く。マスコミも、自分の中継の大事さを喧伝したいのかまだシーズンが始まったばかりなのに、「今期を占う....」とか、「3連戦の初戦で....」とか、「昨日勝っただけに今日勝たなければ....」とか、一つ一つの試合の重要性を強調する。しかし、プロ野球は優勝チームでさえ6割に満たない勝率で優勝する。3試合すれば1試合は絶対負けるのがシーズンです。

 麻雀をしているとよく分かるし、賭事はすべてそうだと思うのですが、すべてを勝ちにいこうとすると確実に負ける。麻雀でも調子の良いときは、配牌を見た瞬間に「あ、この手はこう来たときには勝負だが、それ以外は遊び」と判断出来る。この判断が出来ずに無謀なことをすると、大体良くない。

 昨日野球を見ていて、巨人には「敗戦処理の投手」がいないのに気が付きました。大きく負けているのに、入来が投げている。あれでは入来がかわいそうだし、他の選手も一回緩んだ手綱をまた引き締めなければならない。野球解説を聞いていて、「捨てゲーム」の考え方が一番よく分かっていると思うのは、豊田さんです。酒を飲んでへべれけになったままテレビ番組に出てくる大変な人ですが、負けゲームを選手がどういう精神状態で終えれば良いのか一番分かっていると思う。

 今のジャイアンツを見ていると、全試合中継されるせいか選手がみんな硬くなっている。あれでは疲れる。マスコミも一試合一試合を注目しすぎる。重要なのは監督の働きだと思う。選手が気を抜ける采配をしないと、選手が疲れてしまう。長島さんも、野村さんもそれが下手。

 正確には知りませんが、ここ数年はヤクルトとジャイアントが連覇を出来ずに、一年置きに優勝しているそうだ。力が拮抗しているという見方もできるが、どちらの選手も1シーズン優勝に向かって走ったら次のシーズンにはもう力が出ないような状況に置かれているのではないか、とも思う。疲労困憊して。

 今年のヤクルトは抜け殻のようだ。勝つことに疲れている。その意味では、今年のジャイアンツは優勝のチャンスがある。しかし、週末の対阪神戦を見ると、今年はヤクルトでもジャイアンツでもないチームが優勝するような気がする。ドタ感ですが。

 まあ、我々の日常生活でも「捨てゲーム」は必要なんでしょうね。(^_^)(^_^)(98年4月19日記)

 今年のセ・リーグの優勝チームが巨人でも、ヤクルトでもないという点は当たっている。しかし、ではどこかという優勝チームを予測していない点では、手放しで喜べる予想でもない。

 で、この二人の監督はシーズン後に対照的な道を歩む。野村さんは退団、長島監督はすったもんだの末の残留。私は野村さんは正しい道を選んだと思う。長くなりすぎた。マンネリになるのも無理はない。これに対して、長島さんの選んだ道は間違っていると思う。やはりいったん辞めるべきではなかったかと。

 野村さんに対する印象は、「好き嫌い半ば」といったことろでした。好きだったのは、考えていることがよく分かった点。カメラの前で腰を振るのも、毒舌を吐くのも計算の上だった。弱小で、これといったスターがいないチームを強くするには、まずマスコミを注目させ、それをもって選手に自信を付けさせる必要があった。日影のチームではいけなかったのだ。彼はこれに成功した。そして、ヤクルトからは多くの人気選手が出た。人気が「実力」を支えた。在任中の3度の日本一は輝く。野村さんが嫌いな点は、時にそれがあまりにも露骨に出たことだ。それは鼻白む一瞬だった。

 長島さんという人は、時に論理を越えている。計算しているのか、していないのかも分からない点が、ある意味では凄いし、その逆にどこをどう評価して良いかしばしば躊躇する。しかし、今回は辞めるべきだったでしょう。あれだけの素材のチームを持ちながら優勝できないのは、やはりどこかがおかしい。プロの世界まで信賞必罰が消えたら、この国はすべての分野が「なあなあ」になってしまう。今からでも、長島さんは「辞める」というのが来年の日本のプロ野球を面白くする道だと思う。


98年09月21日(月曜日)

 日本のテレビまでクリントンの証言ビデオを流し始めた。ひどい単語がいっぱい登場する。あんなものを公表するとは、ちょっと常識を疑う。のぞき見趣味以上の何物でもない。あのビデオを見て、「大統領の偽証の意味合い」を深く考える人がいるとは思えない。たぶん、えげつない言葉を聞いて、「そういえば、そういう単語もあった」程度に思うだけだろう。スターの報告書も、クリントンのビデオも、読むにも、見るにも値しない代物だと思う。もっと考えなければならない問題は山ほどある。

 特に日本のマスコミまでが、夜の貴重な時間を使って延々と流す意味は何もない。さっきちらっと見たら、「性交渉」の定義を延々とやっていた。ばからしい。社会通念を最後まで定義しようとしたら、100年かかる。小生に言わせれば、他人のなんとかライフなどどうでも良い。たぶんクリントンは辞任に追い込まれないだろう。アメリカ国民も、「ばかばかしい」と思いながら、時間潰しに見ているに違いない。一つ日本で使えるとしたら、英語の教育に使える。なぜならこの報告書や、ビデオには普通の人間だったら興味を持つ単語が山ほど登場する。

 「英語の教育にはエロ本を使え」と高校の先生が言っていたような気がする。この手の本なら生徒が「眠くなる」ことはない。しかし、それだけの意味合いしかないレポートやビデオだと思う。まあ、人間性のかなりの部分がそうしたもので出来ているのでしょうが。それにしても、付き合いきれない。
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 それよりも、私の「食の友達」である Kitchen 5の優子さんが「小説現代」に絵とエッセイを連載することになったことの方が、大きなニュースでんな。実は、彼女と彼女の下で働いている美樹ちゃんが誕生日だというので、本日は早稲田の「松下」で食事。エッセイと絵を連載とはなかなかやるじゃないですか。11月から本格スタートだそうです。毎年夏と冬の旅行では、彼女はなかなか良い絵を書いてくる。それがいよいよ世に出るわけです。
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 「ゆうこ」様といえば、岸川裕子さんから今日もらった花は綺麗だった。慣例なのです。異動が出た人に、去る部の人たちが夕方集まってくれてなにがしかの贈呈をしてくれる。花の贈呈担当者が岸川さんで、もう一つの方が滝口さんだった。このお二人とは、何人かを交えて何度も食事会をしている。お二人には感謝。また、やすくておいしい店を探したいものです。

 食べることと直接関係ないのですが、「東京マーケット・フォーカス」の前半半年間のアシスタントをしてくれた岡山玲子さんが、いよいよゴールインで、来月早々に挙式だという。相手はテレビ東京の人と聞きました。まあ、一種の職場結婚ですな。何はさておき、パーティーには駆けつけたいと思います。放送当時から、彼女のファンは結構居て、スタジオにどすんと荷物が届いたこともあったっけ。


98年09月20日(日曜日)

 まるで真夏日のような陽気でした。台風が持ち込んだのでしょうか。以前の家を引き渡しの前に家ごとクリーニングにだしてあったので、たまに見回りに自転車で新しい住居との間(400メートルもない)を往復していたのですが、まあ暑かった。月曜日も暑いらしい。9月も下旬でっせ。

 でもあの「ハウス・クリーニング」という仕事は大変ですな。大体どのくらいの大きさか(u)で請け負うのが基準で、対象にサッシ掃除を入れる入れないなどで値段が決まってくる。とにかく以前居た家は異常に広かったので、実は業者のスケール外だった。だから業者もえいやで引っ越しとパッケージで請け負ったようですが、朝の9時に4人の人間が来てずっとやって夕方見回ったときにはまだ半ばという感じだった。でも、4人で汗を流して一生懸命やっていました。

 結局、「終わりました」と鍵を返しに来たのが夜の7時を大きく過ぎていた。4人の人間が10時間以上やっていたことになる。業者にとっても、予想外に時間がかかったと思ったのではないでしょうか。今回はたまたま引っ越しが「アート引っ越しセンター」だったのでそこに頼みましたが、ハウス・クリーニングで一番有名なのはダスキンだそうです。しかしちょっと高いのが難点だとか。でも、去る場所くらい綺麗にして去りたい。

 新しい住居の方も今日もちらちら整理を進めて、家の各所に花なぞを飾る気分になりましたから、ほぼ完了です。テレビ、ステレオ、風呂のシステム、玄関システムなどなど全部正常に稼働し始めた。明日からはあちこちへの住所変更の届けですな。面倒。ネットワーク関連も結構ある。あとは郵便、公的機関への届け出。誰か代行して一挙にやってくれればラッキーなのですが。引っ越しに際しては、大胆に捨てすぎて、必要なものまで捨て、また買うというようなことも起きますな。
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 ははは、ニューヨークの安(Yasu)さんからメール。以前、藪中さんとは御同僚だったそうで、まあ型どおり仕事に関しての自己紹介や私が勤めている会社の誰それを知っているといった内容で始まる文章なのですが、

 ところで、なんでメールをさせていただいたかというと、全然仕事とは関係ないのですが、「合記」の「カニの卵とじ」って英語ではなんて言うのですか? というのを聞きたかったのです。こんど試してみたいので教えてください。お願い致します。

 因みに私はChina TownではJohn's Shanghaiというお店にカニ風味の「ショーロンポー」を食べによく行きます。凄く美味しいですよ。今度試してください。私はダウンタウンに住んでいるので行くレストランも大半は25丁目よりは下です。今度、改めて私の「ダウンタウンお勧めレストランガイド」を送らせていただきますよ。ジャズバンドの入る日本食屋なんて言うのもありますよ。

 うーん、実は実は名前を忘れました。村松さん、あれなんて言いましたっけ。村松さんは小生と初めて行ったあと、もう2〜3度行かれているそうです。「合記飯店」に。それから、安さんの「私のダウンタウンお勧めレストランガイド」は楽しみですね。一週間の出張では、懐かしい店を回るだけで時間がたってしまって新しい店の発見はなかなか出来ない。やはり今居る人でなければ。期待してますよ、安さん。


98年09月19日(土曜日)

 もう慣れてきたから楽勝かと思ったら、やっぱし大変でした。引っ越し。今まで住んでいた杉並区の「梅里」にバイバイして、今度は「和田」に。蚕糸の森公園の直ぐ近くです。ニューヨークにいた4年間を除いて、「梅里」には合計21年も住みました。18年間は自宅に、直近の3年間は家をお借りして。狭くなったための選択でしたが、今回もその延長。梱包から移動まですべて引っ越し屋さんがやってくれるので今日もラジオ短波から頼まれた茅場町での公開録音を一つこなして「引っ越しは楽勝」と思って帰ってきたのですが、やはり荷を解くのは誰もしてくれないから大変。まあ、あまり一挙にやると良くない(^_^)(^_^)。のんびりやります。

 まっさきに回復を急いだのは、ネットワーク関係。回線が複雑で大変でしたが、何とか個々のマシンは動くようになりました。しかし、最後にLANがうまく稼働しない。まあ、これもNTのサイドをいじれば良くなるかもしれない。大きな問題は、10年前に建設されたマンションで、ホームテレホン関係で結構丁寧な工事をしていて、そのままだとISDN回線を引き込めないこと。今は中間省略で線をつないでいる。しかし、このマンションの住人でもあり地権者でもある方と話しをしていたら、同じ階の隣人が今まさしくISDNの取り込みを努力中という。全部で6戸しかない小さなマンションですから、「ビル全体で対応を」という話しになるのではないかと考えているのですが。
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 ははは、ニューヨークからの帰国が16日で、今日の19日までに引っ越しを2回やりましたよ。一つは会社のビルの中で、もう一つは自宅を。こんなんも珍しいですな。もうしばらくはなさそう。住所録に載っている方々には転勤・転居届けを出す予定ですが、転勤の方はビルの1階から5階へ、転居は杉並区内でせいぜい400メートルの移動。あまり出す気はしませんね。そうか、後者はそのままですが、前者は電話番号が変わった。何があっても、どこにいても変わらないネットワーク・アドレスは貴重品でんな、こうなると。

 では、お休みなさい........。眠いので。ああそうだ。ちょっとこれでは物足りない....という方には、今回の出張を機にまとめたニューヨークのレストラン案内を。ここでお楽しみ下さい。


98年09月18日(金曜日)

 ははは、本日は写真を2枚ほど。久しぶりにホームパーティにお呼ばれしたので。(^_^)(^_^)都内某所。森本 毅郎さんのお宅に大勢でお邪魔しました。森本さんの誕生会ということで、金曜日の「森本 毅郎スタンバイ」(TBSラジオ の週日朝6時半から8時半まで)の出演者、スタッフ中心に。ちょっとこの「関東ナンバーワン」の番組の面々を紹介しましょう。
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 左上の写真で、私の左にいる魅力的かつ迫力のある女性が小松さんです。「現場にアタック」(午前7時半)などを担当。毎回、「何を着ているか」を見るのが楽しみです。例外なく非常にユニークな衣装を着てきて、驚かされる。良く言っても悪く言っても(後者は少ないが)、日本人離れ。なかなかコーディネーションがうまい(^_^)(^_^)。しゃべりもですよ。エレベーターで、急ぐ人を関東では右側、関西では左側を通しますが、その境目が東海道のどこか....という8月末のレポートは出色だった。で、その答えは「関ヶ原」。それだけじゃない。毎回笑えるレポートを彼女はしてます。

 向かって私の右側。ご存じ森本さんです。テレビでこういう格好は見れない。本邦初公開、ネット初公開です。一週間の早朝の番組が終わり、まだ日曜日の番組(フジ・テレビ)の用意もしなくて良い金曜日の夜。超リラックス。一週間の中で一番リラックスできる瞬間ではないでしょうか。顔に、「安堵感」が出てらっしゃる。がこの晩、森本さんは活躍したんですよ。バーベキューでしたから。その右が奥様。素晴らしい。もう一度、素晴らしい。素晴らしい料理だったのです。ホームパーティであれだけの料理を、しかも全部自分で作る方を私は知りません。我が家のHPなんて、西麻布の開花亭に作ってもらったりしてますから。私は初めてでしたが、何回もお邪魔しているメンバーによると、「毎回違う」とのこと。これは楽しみです。また呼んで下さい(^o^)、奥様。しゃこの料理が特に美味しかった。

 その後ろに立っているのが三条君。つい最近までこの番組のディレクターだった。若いでしょ。ディレクターというのは、番組全体を統括する役割です。スタッフの仕事の流れを調整し、番組を代表して社と交渉したり。番組に責任を負う立場。で今回この番組を出て、TBSラジオの夜の報道番組(夜10時から、10月にスタート)の方に移った。今はその準備中ということです。この番組は、インターネットとリンクして色々企画しているらしい。小生も詳しくは知りませんが、ネットでも注目したいものです。その右に立っているのが、藤井君。三条君から「D」を引き継いだ、今のディレクターです。少し前までの、金曜日(従って私の)の担当だった。彼が一応電子メールをこなせたのは、私にとって楽でした。連絡はいつでもどこでも出来ると言うことで。今ちょっとゴルフにはまっている。当然、今は仕事にはまりつつある。(?_?)

 藤井君の下の白のシャツを着ているのが、木村ちゃん。年齢不詳。温厚な感じ。体型も。顔は常に黒いので、どう配置されているかしばしば分からないのですが、時々するどいギャグを飛ばす。毎週金曜日の朝、TBSに入って彼がいると、もの凄く安心する。番組全体のスタビライザーという感じ。噛むとものすごく味が出る(^o^)タイプです。その下、すてきなドレスの女性は小沢さん。政治家としてもならし、朝、昼と、夜とテレビでももの凄くご活躍。迫力ありまっせ(失礼)。私の祖父の妹さんに、非常に似たタイプの方がいる。頭は良い、弁は立つ、喜怒哀楽がはっきりしていて....と。時に、回りがたじたじとする面もある。一言で言えば「存在感」があるのです。番組では、8時前後に登場します。

 残るは美女二人。小沢さんの右が森本家のお嬢様。つい最近お嫁にいらっしたそうで、まあこの日は里帰り。でも、多分かなりお手伝いをされたでしょうし、それはパーティー中もそうでした。その右側が、広江ちゃん。彼女にはお世話になってます。しゃべり終える、喉が乾く.....とコーヒーが出てくる。まあ、番組のアイドルですな。そして、ときにおもちゃ(~_~メ)。一番の若手だから...。昨日知ったのですが、八丈島の出身らしい。これからもよろしく。

 おっと、最後にもう一人。(^_^)(^_^)もう一枚の写真の人物です。長谷川君とんでもない写真ですがこれには事情があって、この写真は森本家のデジカメで撮ったのですが、撮れるか撮れないかなどと言っている段階での試し撮り。彼がカメラ担当だったので、これが彼が映っている唯一のやつ。でしょうがなく。今の金曜日の担当(従って小生や小沢さんの)です。若者と言う感じですが、経験は豊富(何の ?)です。番組スタッフの中では、一番コンピューターに詳しい。

 ははは、最後に忘れちゃいかん。ブルース君。写真の中央に鎮座する巨大な犬です。訪問したとき、突然ドアから飛び出してきた。これにはびっくり。でも、おとなしくて、ほとんどなかない。本人の性格かどうか知りませんが、しつけは良さそう(?_?)。しかし、この日はバーベキューのメニューの一つである「穴子」を失敬したとして、主に小沢さんから怒られていたな。全然、反省の色は見えなかったけど。おっと、コンピューターで思い出した。「森本 毅郎スタンバイ」も、近々ホームページを持つ計画が進行しているやに聞いている。皆さんお楽しみに.....。
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 ところで話題は変わりますが、あかちゃんというのは「共鳴」して生まれてくるものですかね。シカゴのしらちゃんから連絡があって、「予定よりかなり早くあかちゃんが...」と。北米の出張に一緒に行った土肥ちゃんのお宅にも生まれたし、日本の人口も少しは回復の兆し....か。それにしても、お二人にはおめでとう。


98年09月17日(木曜日)

 ははは、後で分かったことですが、ニューヨークから東京への飛行中にはいろいろなことが発生していたようです。一緒に行った土肥ちゃんが帰国直後に「生まれて初めてのメール」をくれて、

 NYではいろいろお世話になり有り難うございました。成田から家に電話したら、何と、日本時間の午前2時ころ生まれていました。JFKを飛び立って30分くらいした頃、生まれていたのです。2800グラムの男の子でした。自宅で破水後、3時間で出てきたそうです。台風接近中でタクシーが拾えず、結局、助産婦さんに自宅まで来てもらって、私がパソコンをいじっているこの部屋で生んだのです。

 初対面の感想は、新しい生命の不思議とでも言いましょうか、まだ人格というもの が感じられないので今ひとつ実感に欠けました。母子ともに健やかで何よりです。

 予定では彼が帰ってから出産の予定だったのです。なかなか強烈ですね。小生にとって何が出来事かというと、「異動」通知。かねて、「その方がいいな」と思っていたところに。まあ実際の仕事の中身は、ただちにはあまり変わらない。だから、外で見ている人は「何が変わったんだろう」と思うかもしれない。しかし、肩書きは「住信基礎研究所 主席研究員」となります。何を研究するかって。枠組みはありますよ。金融・経済全般。まあ、「マクロ」です。しかし、実際の中身を作るのは私でしょう。森羅万象研究するのが課題です(^_^)(^_^)。今まで誰もやったことのないような。ネットを絡めた経済を突き詰めて行ければと。あと、「路地裏」もやりたいし。もちろんこのサイトにも変化はありません。しかし、新しい肩書きをもらったので、やれることは全部やる、新しいことをやるをテーマにします。
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 海外のホテルの電話が高いことに関しては、多くの方からメールをもらいました。やはり実感している人が多いということでしょうか。
 国際電話代の話が出ていましたが、ホテルの国際電話代は滅茶苦茶高いです。私なんかも出張で、宿泊費よりも電話代が高いなんてことはざらですから。これを減らすためにはMCIなどのCalling Cardをもつことでしょう。このカードは日本でも取得できますし、エアラインのマイレッジにもなる。更に、800ナンバーにかけて国際電話するのでホテルに払うお金も50セントとか1ドルときている。これは便利。ホテルにとっては電話って大きな収入源なんです。なにせ、CashFlow StatementのRevenueの部門に”Telephone"という項目があるくらいですから。

 それから、グローバルローミングよりもここは世界にAPをもつMSNに加入するのが一 番でしょう。私は出張用にMSNのアカウントを維持しています。MSNならアメリカはじ め、世界中にいっぱいAPがあります。いったん市内通話でインターネットにのっかっ てしまえば、後は何でもやれますからね。海外出張が多くなるようでしたら、お勧め です。

 も一つ。
 アジアでもHOTEL からのTEL 代金はとてつもなく高いんです。出来るだけロ−カルのプロバイダ−に繋ぐようにはしてますが,回線状態が悪く,時に日本に直接という場合もあります。こんな時はじたんだ踏みたいくらい高いです。

 それでもアジアの大抵のHOTEL はMAILできますが,先週泊まったロンドンのHOTEL(4 つ星でしたが) は駄目でした。またヒユ- スロ- 空港のBAラウンジでもまったく駄目でしたね。シンガポ- ル空港は市内に限って無料で快適なMAIL時間を楽しめるのに,日本の壊す文化とイギリスの守る文化の差を目にあたりにしてきました。

 これからニュ−デリ−ですが, 彼の地はどんなものか今から不安です。

 上がばぶるばすたー さん、下が小山田さんお二人とも、メールtks。海外でネットをやるときには頭を使う必要があると言うことですな。今日はときどきすこぶる眠くなる。まだ抜けません。完全に抜けるのは、来週からですか。


98年09月15〜16日(火〜水曜日)

 出発の朝にホテルのドアの下に入っていた追加計算書をまじまじと眺めながら、「国際電話」の料金の高さに驚嘆していました。結局ホテルでは一回も食事をしていないので、料金が発生しているのはランドリー代と電話代。その電話代は、国内はデータ通信で全部1ドルで済んでいる。回数多くかけても、大したことはない。これに対して、国際電話は同じ時間かけても国内料金の30倍とか40倍している。追加代金の総額の9割は国際電話なのです。回数的には国内電話の10分の一以下なのに。

 「グローバル・ローミングをしていなかったら、今頃死んでいた...」というのが実感。しかし今回私が使ったグローバル・ローミング番号には、二つ欠点があった。一つは、digiweb には出来ても、gol に対して FTP が出来ないケースがあったこと、二つ目はEUDORAでのグループ送信がグローバル・ローミングの「smtp」である「gricmail.gric.net」から拒絶されたこと。理由は分からないし、調べている時間もなかったのですが、それで一日に一回くらいは東京のGOLの電話番号に直接電話をした。それとあと少しの私用の国際電話の累積が、けっこう大きな金額になっているのです。

 この間、グローバル・ローミングは非常に大きな回数やっているのですが、電話料金としては鼻歌で済む世界です。これにローミング代がプロバイダーからかかってくるのですが、これは大したことはないでしょう。恐ろしいのは、「国際電話」です。自分が払う払わないに関係なく、ローミングが完璧に行けば随分と節約できた。ちょっと要検討ですな。
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 この課題は残りましたが、持ってきたものの無駄はほぼありませんでした。岩波新書を二冊もってきたが、結局読めなかった。しかし、その他持ってきたものはすべて必要で使った。かつ、使い切りと同時に捨てたものも。海外には、捨てても良いものを中心に持ってくるのですが、今回も成功。まあまあのものは、背広とワイシャツくらい。いかに荷物を減らすかも、ちょっと頭を使うゲームです。だから帰りのバッグの方がはるかに軽い。

 二通りの考え方がある。海外には良いものを持ち出すと言う人と、その逆の人。私は典型的に後者で、時計からなにから自分がもっている一番安物を持ち出す。楽ですよ、その方が。いざとなったら、捨ててくれば良い。結局捨てられないケースも多いのですが。(^_^)(^_^)。

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 「しよう」と思ったことはほぼすべてトライした出張だったのですが、一つだけ見送ったことがある。それは、出張先での携帯電話のレンタル。空港かホテルかで安かったら借りようと思っていたのです。便利じゃないですか。ニューヨークのタクシーの中から訪問先にр入れられる。遅くなりそうな時は、連絡が入れられるという訳です。

 で全日空の機内で聞いたら「私どもはそういうことはしておりません...」と。帰りも全日空ですから、帰りに返せれば便利です。で空港で借りようと思ったら、忘れてしまった。では、ホテルでということになって聞いたら、そういうサービスはあるという。しかし、レートを聞いてがっくりした。「500ドルのデポジット、一日25ドルの使用料」と。これはひどい。しかも、デポジットがどのくらい返還されるかも不明だという。「やーーーーーめた」ですよ、そんなのは。

 あとで聞いたら、日本を出発するときにアメリカで使える携帯電話を借りれるサービスがあるのだという。次はこれを検討してみようと言うわけです。しかし、一番良いのは衛星電話が軽く安くなることです。今の衛星携帯電話は、重くて高い。あれでは使いモノにならない。
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 ところで、日本時間の16日午後3時過ぎに無事帰着。東京は大変だったみたいですね。台風が八王子を直撃したとか。またしても、JRは混乱ですか。成田もバスは混むし、エクスプレスは満員だし。またまた知り合いに会って、一緒に京成の特急とやらに乗って帰ってきました。


98年09月14日(月曜日)

 移動するのも大変な一日。ワシントンから今最も有名な人が来て、ニューヨークをうろうろしたため。5番街はぼほ終日通行止めになるし、パーク・アベニューも一時止められていた。約束があったのに、移動するだけで大変でした。午前中は、支店の支店長以下と食事をした後、一緒に支店の車でゴールドマンの有名な米株強気アナリストであるコーヘンさんに会いにダウンタウンに向かう予定だったのに、支店の車が立ち往生して急遽タクシーに変更。

 終わって帰ってきて今度はヘッジファンドのメンバー3人と会うのにも、マンハッタンを横断するトラフィックが麻痺状態で、大変な距離を歩くことを余儀なくされました。まあその警官の多いこと。おまけにクリントンはニューヨークに来て政治資金集めをして帰ったそうで、ニューヨークにとっては金は集められるは、渋滞はおこされるはで迷惑な一日。付録に、クリントンはニューヨーカーでも来年の春くらいまでは見れない「ライオン・キング」を見て帰ったそうで、とんでもない奴(^_^)(^_^)ですな。でも、考えてみれば何があっても国家元首ですから、そうであるうちはそれ相応の護衛体制は敷くと言うことでしょう。

 渋滞の余波が残る夜は、かつて私の下で働いたことがあるメンバーとホテルの近くで食事をしましたが、皆元気そうだった。マーケットが混乱している東京の方が気になるでしょうが、せっかくのニューヨーク。しっかり見・経験してきて欲しいものです。
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 いろいろ短期間ながら予定を詰めた出張も、今日で the end。明日はフライトの予定からして午前中にごく簡単な買い物をするくらいですから。日本人では村松さん、藪中さんなどこれまで一回も会ってなかった人に会え、また会社の連中(水上、安藤、岡田、田中、目原、南波、立花、NAKAGAMA..........)など懐かしい人に会え、今登り調子のアメリカのエコノミスト、アナリストに会え、ヘッジファンドの顔の引き締まった連中にも会えと成果は十分だったと思います。講演はなかった。最近の出張では珍しい。まあ、私にとってはネットワークを始めてから初の本格的ニューヨーク出張で、その力を実感できました。私のニューヨークにおける読者とのコンタクトという意味だけでなく、アメリカ人とのアポの取得、その後のコンタクトでもネットワークは極めて有用だった。電話ではまどろっこしいことが、一発でできる。時間の都合で会えなかった方々には、失礼しました。m(__)m

 またビジネス以外でも極めて有名でした。ブロードウェーの有名な劇場の何日のどこの席が開いているかまでインターネットで分かる。これは日本にいても同じです。で、村松さんにとって頂いた以外に最後の夜にニューヨークが初の土肥ちゃんに見せてやろうと当日の券(午後8時から。月曜日で少なかったのですが)をネットで探したのですが、直ぐ席が見つかってその番号をてびかえ、一端パソコンの通信ラインをダウン。劇場(Winter Garden)はホテルの直ぐ近くですから、劇場の窓口に歩いて行って、「この席が空いている筈だ....」と。当然ありますわね。これはちょっとおもろい経験だった。ネットで買うと、一枚5ドル以上の手数料がかかりますから、もったいないでしょう。散歩にもなるし(^_^)(^_^)。こういう使い方もあるんです。

 スターの報告書など、ニューヨークに住んでいる連中よりも小生の方が素早く読んでいましたね。ネットの習熟度の違いですな(失礼)。でもアメリカはおもろい国ですよ。あんなしょうもないレポートを発表して、国中が楽しんでいる。喉が乾いたこともあって、夜中にホテルのバーでカンパリ・ソーダを飲んでいたら、多分彼等も全米から出張中なのでしょう。女性抜きで野郎達がえらい騒ぎで酒を飲んでいて、聞いていたら「モニカ...」「モニカ...」と出てくる。呂律の回らない、例のでかい声で、あちこちでやっている。1分おきくらいに誰かが下手なジョークで笑いを誘うのですが、いずれにせよクリントンは今のアメリカ人に大変な話題提供をしているということです。フランスだったら、こんな騒ぎにはならない。私には、マスコミが先行した騒ぎに思えましたが。

 冷戦のころに比べれば、今のアメリカには大きな懸案がない。アジアだロシアだと騒いでいても、安全保障上の脅威ではないわけです。貿易から見てロシアは今のアメリカにとっての0.8%の重み....などと言い切れる。冷戦時代には、ロシアの重みはこんなパーセントでは計れなかった。クリントンの騒動がこれほど広まり、これほど酒場の話題になっているのは、今のアメリカが平和である象徴でもあるのです。だから、アメリカが国として挑戦されるようなことがあったら、こんなくだらない問題は直ちに消えるでしょう。扱いたいのは分かる。しかし、考えてみればこんなのは日本のマスコミが大騒ぎするような問題ではない。日本のマスコミには、もっと他の事をしっかり報道しろと言いたい気分です。
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 とまあ、話しがずれましたが。でも一つだけ寂しい。「きらく」のかっちゃんが私が来る直前になくなってしまった。ニューヨークに来ると彼に会えるのが楽しみだったのに。で、ある日の夕方時間をとって56丁目の Park and Lexington の店に行きました。「temporarily closed」という看板がかかっていた。奥さんが再開するのか、誰かが店を買うのか。ああ、あの「冬の鍋」が食べたい、「入り口で麻雀」がしたい。ははは、20年も前に「きらく」の入り口で徹夜麻雀したのは懐かしい。

 そのかっちゃんもいない。去るに当たって、かっちゃんの冥福を祈りたいと思います。寂しい。でも、依然としてニューヨークは好きですな。また近く来たい.....。どなたか口実作りの....(^_^)(^_^)


98年09月13日(日曜日)

 出張中の身ですが、東京からの賓客お二人を迎えて結構忙しい日曜日でした。朝の10時45分にホテル玄関に。昨日ホテルに頼んでおいたリムジンをチェックし、そのまま乗ろうと思って行ったのですが、ストレッチの入ったなかなか重厚なやつ。気に入りました。運転手はアンジェラでギリシャ人だった。テレビあり、バーの施設あり。右にスコッチ、左にウォッカという感じ。しかし、水類がない。ここがアメリカのサービスの限界か。

 道は日曜日でメチャ空いている。ケネディには30分ちょいで着いた。JALの008便で着予定が12時20分。大分時間があるので、運転手はあとで呼び出すことにして空港に入って、ちょっとラップトップで文章を作成。それが今朝のnews and analysisというわけです。しかし、早めに行って良かった。着は30分早くて11時50分。送れた KAL とぶつかって乗客が出てくるのには随分と時間がかかった。ピックアップしてリムを呼び、一路マンハッタンに。車中で話しをしていたら、私が泊まっているホテルと、賓客お二人の泊まっているホテルは one block も離れていない。全くの偶然です。

 一度休んで頂いて、村松さんにとってもらったチケットを片手にミュージカルを見に行ったのは午後6時半。ディズニー(美女と野獣)で「おこちゃま」かと思っていったら、結構笑えて面白かった。日本で見て比べるのも面白い。主演女優は有名な人らしく、終わったら会場が一斉に standing ovation になったのには驚きやした。終わったのが、9時10分。最初は「本むら庵」に行く予定だったのですが、この時間は無理。そこでウォドルフの「稲ぎく」にしました。歩ける。で、心配になって「歩きますか」と言ったら「歩く」と力強いお言葉。この方々はニューヨークには何回も来ているのに、周囲が五月蠅いのかニューヨークの夜など歩いたことが無いようです。

 「稲ぎく」は混んでました。ひょっと見たら見覚えのある顔が家族連れで食事をしている。あのテレビの芸能ネタのレポーターで有名なうるさいしゃべりをする梨本とか梨田とかいう顔の丸いおじさんです。多分お母さんと、奥さんと娘さんで旅行している印象。食事も美味しかったし、お二人との会話も楽しかった。芝居の話し、西麻布近辺のレストランの話し。ウォドルフからまた歩いて、お別れしたのが11時20分過ぎ。賓客のアテンドでも、こういう中身のあるのは歓迎ですな。
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 小生がニューヨークからホームページを更新しているのを見て、モバイル環境が欲しくなった奴がいるようだ。彼は、ホームページも私のを見て欲しくなった.......(^_^)(^_^)。ははは、それでそれに関連した話題を一つ。

 アメリカに来て感じるのは、「こちつら何でも小さくするのが苦手だ....」ということです。とにかくアメリカ人が使っている携帯電話を見て驚愕した。日本ではもう2年も前に使わなくなったようなでかくて重いやつを使っている。綺麗な女性が、まるでトーキーのようなマシンを使っているのを見るのは、笑ってしまう。で、本当にそんなのしかないのかとシカゴでアメリテックの携帯電話店に入ってみた。

 ははは、驚きました。本当に重くてでかいのしかない。日本では既に80グラムを切るようなマシンが出来ているのに、一番小さいやつでどうみても200グラムはありそう。しかも、でかい。アメリカ人は日本人が使っている小型の携帯電話を見たら、携帯電話だとは思わないのではないかとも思う。

 ドイッチェ・モルガンのヤルデニ氏のオフィスを訪ねたら、彼の机の上に「Vaio 505ex」が置かれていた、こちらはこちらで「Vaio 705」を出してインタビューして、お互いに顔を見合わせたのですが、コンピューターオタクとしても有名なヤルデニ氏(最新の情報によると、彼はもともとプログラマーだったらしい)もアメリカのラップトップは買う気がしなかったようです。「何時買ったの....」と聞いたら、2日前とのこと。微細技術というのか、大きなものを小さくする技術では、日本人の競争相手はいそうもない。

 で探している人(?_?)。私の推薦は、やはり日本製のヤルデニ氏も使っている「Vaio 505ex」です。実は小生も買おうか迷っている。とにかく今のマシンは重いのです。自分でもよくニューヨークまで持ってきて、さらにこちらで持ち歩いていると思う。


98年09月12日(土曜日)

 「 a landmark event for cyberspace, turning the spotlight o the Internet's growing political importance.」

 「Welcom to chaos.com

 クリントンのセックス疑惑を審議している下院が、スター検察官の特別報告書を公表したことは、インターネットを中心とする Cyber World に新たな意味を与えたと言えそうです。紹介したのは、前者がニューヨーク・タイムズの、後者がシカゴ・トリビューンのそれぞれの記事の書き出しの記述です。そして、どちらも当たっている。

 ニューヨーク・タイムズが「landmark event for cyberspace」と書いているのは、この報告書のインターネット経由での公表が持つ歴史的な意義を強調している。対して、シカゴ・トリビューンの「welcom to chaos.com」は、この報告書が世界中で誰でもが見れることに伴う「混乱」を予測したもの。

 私もこの報告書を全部読んでいるわけではない。なにせ445ページもある。しかし、ニューヨーク・タイムズの当該特集サイトのサーチ機能に思いつく単語を入れて検証してみればどんな内容を含む報告書か分かるし、CNNやその他メディアの報道によれば、この長い報告書にはクリントンとルウィンスキーが事に及んだ10数回のケースが図式入りで詳細に掲載されているという。

 実際のところ、シカゴのタクシーの中で聞いたこの問題に関するラジオ番組(よって誰でも聞ける)では、耳を疑うような単語が数多く登場し、ニューヨーク・タイムズが「an avalanche of salacious details of the President's affair with Monica S. Lewinsky」と表現するにふさわしい内容になっているようだ。いつも経済の記事を中心に読んでいる私としては、この手の一連の記事から、今まで聞いたことのない数多くの単語を学ぶことが出来る。(^_^)(^_^)

 あらゆる情報が瞬時に公表される時代、に突入したというのが第一印象でしょうか。これは、やはり「landmark」というにふさわしい。CNNなど多くのメディアのサイトには、アクセスが殺到したという。世界中の人々がこの報告書を得るためにサイトにアクセスしたと言うことです。しかしそれはまた、「chaos」の入り口に自分たちがいるのではないか、という懸念に繋がっているわけです。

 メディアを通して得ていた情報と、インターネットで生で得られる情報には大きな違いがあると思う。今までの情報は、誰かの目を通して報じられた。つまり、善し悪しは別にして濾過されていた。大体が報道の世界に長くいた人間とか、有識者とかに。しかし、インターネットになると生でその情報が子供などを含むすべての人に平等に届く。これは一種の革命と言っても良い。そしてこの革命は、いくつもの蛇行を繰り返しながらも、確実に情報の流れをよりストレートなものにして行くでしょう。
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 シカゴからニューヨークに戻ったのが昼頃。それから一休みして、いつもアメリカ経済に関してネットワークを通じて意見を交換している証券会社総合研究所勤務の藪中さんと店で待ち合わせてジャズを聞きに出かけました。あれだけ緊密な情報交換をもう2年近くしているのに、藪中さんと会うのは初めてです。会ったのは、写真にある「Iridium」という名前の店。リンカーン・センターと目と鼻の先。63stの West44。(^_^)(^_^)藪中さんが予約してくれた。私が住んでいた 63st broadway とは目と鼻の先。藪中さんの住居にも近いという。むかしこんな店は会ったかな....という感じ。

 ニューヨークのジャズというと直ぐ Blue Note を思い浮かべる人が多い。日本には、東京、大阪、福岡に出店がありますから、確かにこのビレッジにある店が日本で有名になる理由はある。最近、ネットワーク仲間のぼぶちゃんが行って、えらく感激したような文章を書いていた。その通りですが、ニューヨークにはその他にいっぱい良いジャズ・クラブがある。Iridium(電話 582−2121)もその一つでしょう。ニューヨークのホテルが多いミッドタウンに隣接し、リンカーン・センターの近くというロケーションも良い。

 藪中さんとはジャズを聞き終えたあとも、近くのちょっとしたレストランでコーヒーを飲みながら11時過ぎまでお話しをしましたが、予想通りの感じの良い方でした。

ウェストサイドハイウエーにおいて、
交通事故を起こされました。
後で急ブレーキの音がしたかと思うと、
2回私の車に当たって、その車は、
横向きになってとまった。
私の車は、斜めから当てられたショックで、
止まっていた工事の車に衝突。
私の車は、右側(助手席)のドアが、30センチぐらい内側に
食い込み、もちろん、車の中は、ガラスだらけ。
私は、工事のトラックの後ろの、バンパーにショックを吸収されて、
無傷でした。
 という事故報告をメールでお会いする4時間ちょっと前に貰ったばかりで心配していましたが、ピンピンの様子。もうちょっとで「死ぬところでした」という情況をサバイブしてこられた(^_^)(^_^)あとということで、ははは、ジャズはちょうど良かったかもしれない。

 お別れした後私と土肥ちゃんは、Buroadwayを南下したのですが、夜12時前後になってもすごい数の人の波が切れない。しかも全く危険を感じないのです。20年前のこの時間のニューヨークの42丁目から50丁目にかけての光景ははっきり覚えていますが、肩を揺すりながら歩く連中で充満していて、殺伐としていた。危険な場所でした。それがどうでしょう。何組もの street artists が演奏をし、ジャズあり、踊りありで実に歩いて楽しい街に変身していた。変われば変わるものです。ホテルに帰着したのは、午前1時過ぎでした。


98年09月11日(金曜日)

 シカゴに移動してきましたが、めちゃ暑い。殆ど秋模様だったニューヨークと段違い。まるで夏。ニューヨークから2時間強の飛行機の移動で、しかも緯度の上の都市でこれだけ陽気が違うとは驚きました。空港からダウンタウンに向かうタクシーの中で、「暑いね、ニューヨークから来たけど、向こうは涼しいよ...」と言ったら運転手が、「昨日はもっと涼しかった。今日は暑い。なぜだか俺は知らないけど....」。そりゃそうだ。気温が急上昇する理由が分かるなら、苦労はしない。

 シカゴは実は事実上初めてです。飛行機の乗り換えでものすごく昔に一回来たことがある。しかし、しっかり見るのは初めてです。最初の印象は、「綺麗な、大きな町」というもの。シカゴというとアメリカの中西部の大都市だけれども、特に売り物のない、カポネとプレイボーイと.....そして文化程度の低い(失礼 !)...というイメージでしたが、これは大きく違った。市の中心部は綺麗なビルが並んでいて、ニューヨークに劣らない。

 ただシアーズ・ビル(世界で最も高い人造建築物)に上って思ったのは、「なんと平坦なところにこれだけの街を作ったものだ」という印象。ハイウエイがずっと延びて地平線に見えなくなるのは理解できる。しかし、一般道がずっとずっと延びて、地平線に見えなくなっているのです。街は完全に碁盤の目に区画されている。だから市の中心部の通りの名前が、とんでもない郊外でもそのまま続いているのだそうです。

 空港に着いてシカゴ連銀に電話し、白ちゃんにコンタクトして、時間を合わせてシカゴ連銀の前で待ち合わせ。それまでに時間があったので、いくつかの予定をこなし、さらに「市場」(いちば)を見なければと、CHICAGO MERCANTILE EXCHANGE に行きました。残念ながら我々が着く直前にマーケットはクローズ。ニューヨーク証券取引所のように中に入ることは出来ませんでしたが、引け後の市場の様子はある程度見ました。ニューヨーク証券取引所よりかなり近代化されている印象がした。

 シカゴ連銀には歩いていきましたが、その直ぐ近くに CHICAGO BOARD OF TRADE がある。これも私にとっては懐かしいというか、非常に思い出の深い取引所です。ここの商品の市況をずっと見ていたことがあるのです。とにかくシカゴのビジネス街は、思った以上の迫力を持つ街でした。
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 しらちゃんと会うのは、彼が日本を出たとき以来ですから4ヶ月ぶりくらいかな。ちっとも変わってはいませんでした。例のパソコンを入れたバッグを背中にしょって。えらくラフな格好をしているので、「どうしたの、本当にここで働いているの....(^_^)(^_^)」と聞いたら、他の人達もかなりラフな格好で、特に金曜日は思い思いの姿で働いているらしい。調査セクションはとくにその傾向が強いそうです。

 アメリカ経済に関する談義をしばらくしたあと、「食事」ということになって私が「シカゴらしいもの」と言ったら決まったのがリブの店。知ってはいましたが、食事の「シカゴ・サイズ」にはびっくりしましたね。何かオーダーすると日本の倍、ニューヨークから見ても1.3倍の「量」が出てくる。よく見たら、周囲で食べているアメリカ人はほぼ例外なく全員が、overweight の様子。あれじゃ、ああなるわな....と思いました。
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 景観の面でこの街を救っているのはミシガン湖ではないでしょうか。到着早々は夏日のようで、湖岸にはヨットが並び、湖岸を歩く人は夏の休日のような雰囲気を醸し出していた。これは湖かもしれませんが、見た目には完全に海です。シカゴは、湖岸が一番綺麗なのではないでしょうか。


98年09月10日(木曜日)

 朝8時。ホテルの下から出ている地下鉄の「Eライン」(7th Ave)に乗ってダウンタウンに。トークン(一律の一種の切符)が1ドル50セントとは驚きますね。私の記憶では、70年代の後半には25セントだった。まあ、時代が違いますわね。しかし、それよりも驚くのは地下鉄が綺麗になったこと。かつては、落書きがすごかったし、なによりも乗るのが不安なほど危険だった。朝はまだしも、夜には絶対乗る気がしなかった。しかし、今のニューヨークの地下鉄は極めて安全で、綺麗である。

 朝9時過ぎ。ニューヨーク証券取引所(NYSE)の中に入って、寄り付きを見る。9時30分になる直前に、拍手、拍手。知りませんでした。ニューヨーク株式市場の寄り付きに拍手があるとは。しかし、この日の市場は弱い。見続けた寄り付きから30分の10時まででなんとダウは204ドルの下げ。ずっとニューヨークの市場を取材しているアメリカ人の記者がエレベーターホールで誰とはなしに、「メキシコのペソが急落し、ブラジルも不安。30年債は5.23%で、今日は少なくとも300ドルは下げる...」と話している。
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 いくつか仕事をこなして、ニューヨークの証券取引所に戻ったのが午後の3時過ぎ。そこから引けの午後4時までまたニューヨークの証券取引所を見続けたのですが、下げは朝方あったアメリカ人の言う通り、ダウで300ドル以上の下げ。またこのアメリカ人にエレベーター・ホールで会ったら、「な、そうだろう」と話しかけてきた。「そやな...でも嬉しくないだろ...」と私。何を思ったかそのアメリカ人が、「私の名前は....」と喋りだした。日本で株式評論家として売り出すつもりか.....(^_^)(^_^)

 午後4時の引けは、取引所の中の正面中央にあるバルコニーに15分くらい前から8人くらいの人間が登場することによって、それと分かる。午前と違って、市場の中の人間の動きは鈍くなっている。毎日のことなのか、今日の市場が急落したからなのか。クローズ一分前になると、正面の時計が「時刻」と「NYSE」の文字を交互に点滅し始める。そして4時の瞬間にバルコニー上の一人の人間が槌を一振りし、その音で「The End」。夏時間帯の今は、日本時間では翌日の早朝5時です。終わった瞬間に各指標の引けが出るわけではない。今日は午後4時現在では、ボードは250ドル以上の下げを記録していた。最終的に出たダウは、249ドル台。ニューヨークに長く住み、何回も出張しているのに、証券取引所の寄り付きと引けの様子をつぶさに見たのは今回が初めてでした。
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 たった二日ですが、もの凄く強く印象として残ったことを一つ。駐在した1970年代の後半もそうだったし、80年代も多分そうだったろうと思うのですが、当時のアメリカには「社会が悪い」「国が悪い」として怒りを露わにしながら生きていた人達が大勢いた。その怒りは、街を歩く黒人やヒスパニックの連中の歩き方にもよく現れていて、彼らは私の記憶では体を揺らせ、眼光鋭く、周囲を威圧しながら歩いていた。夜の道で向こうから体の大きなこの手の連中が数人現れれば、こちらが男複数でも嫌な感じがしたものです。

 街を歩いても、所在なしに死んだような、しかしどこか生温かい目で道行く人を見つめる連中もいました。それは「社会が悪いんだ、俺達はどうしようもないのだ....」と主張しているように思えた。明らかに社会には緊張感が漂っていたし、うかうかすると犯罪に巻き込まれるという恐怖感はニューヨークには確かにあったのです。事実ニューヨークは危険な街で、運が悪い日本人は出張のその日にホテルの近くで HOID UP にあって所持金をすべて取られたといった話をよく聞いたものだ。幸い、小生はそうした経験は一度もないのですが。

 しかし今回ニューヨークに来て強く感じたのは、かつて見られた「生温かい反抗的な視線」「誰かとぶつかってやろうという数多くの視線と、それらの視線の衝突」が見られないのです。私が知っている限り、今のアメリカでは各人種や階層が一番衝突感なく生活を進めているように思える。街を歩いても、かつての緊張感はなく、なま温かい視線を感じることもない。つまり、ここで見る限り視線がぶつかりあうことのない社会にアメリカはなっているのです。

 何がそうした変化をもたらしたのか。単純には答えられないでしょう。しかし一つだけ言えることは、90年代に入ってずっとアメリカは経済的には繁栄してきたし、その繁栄は自分で少し努力すれば、人種や階層の別なく享受できるという環境があったということです。「誰かが悪い」「社会が悪い」「システムがそうなっている」という当時強く見られた絶望感(一部の階層、一部の人種の連中の)が、今のアメリカにはない。絶望感がなければ、「やればできる」という楽観論が生まれますから、視線は他人には向かない。向くとしたら自分に向きます。自分に向いた視線は、他人のそれとはぶつからない。

 アメリカ人を大きく変えたのは、レーガンの徹底した規制緩和策ではなかったかと思います。今日会った若林さん(現在はトラディションの中にオフィスを構えられている)は、「ルーズベルト以降のアメリカは、社会主義の国だった。それをレーガンが変えた」と言っていましたが、これはけだし名言だと思う。社会主義的規制は、やりたいことをさせない環境を作り、社会に閉塞感と既存権益を持つ人間達に対するそうでない人々の反感を生む。やりたいことが出来ず、それによって生じていると思われる不平等感が恒久化すれば、生まれるのは無力感と、その無力感を感覚的にさげすむ体内の外に対する反抗心です。その反抗心がかつてのニューヨークには充満していた。それは反抗的な姿勢(歩き方)や生温かい視線となり、時に犯罪を生んでいたのではないかと。

 今回来て思ったのは、「ニューヨークの連中の視線は、乾いてきている」というものでした。それはある意味で、ニューヨークという街からの面白みの喪失を意味する。ケネディ空港に降り立ったときから感じるあの緊張感がない。「ニューヨークはあの緊張感があるから好きだ」という連中はいっぱいいたし、私もそうでした。今のニューヨークには、「proper で square な連中が充満している」とも思う。つまり「自分を見つめて前を向いて歩く連中」が多いのです。つっかかる連中がいない。だから、安全です。恐怖感を感じない街になった。私などには、ちょっと物足りない。当時のニューヨークは、いつどこを歩くにも、「ビルとビルの間から手が伸びてこないか」「運転していてもわざとぶつけられて金をせびられるのではないか」とか、「止めている車の安否はどうか」などなど。その緊張感がまた、ニューヨークの特徴であり、楽しみでもあった。しかし、今はそれはない。

 今のニューヨークは、ひどくまじめな連中の集まりになったように思える。服装を見ても、歩き方を見てもそうです。はちゃめちゃなところがない。たった数日ですが、今のニューヨークで一番まともでない格好をし、目線の定まらない歩き方をしているのは、日本人の観光客です。高いものは着ている。しかし、どこか着こなしがだらしがないのです。彼らは固まるから目立つという事が大きいのでしょう。あの日本人の集団での旅行はもう止めた方が良い、とつくづく思う。

 マンハッタンで急増したのは、明らかに「背広族」です。驚いたのは、ニューヨークのビジネスマンの背広の色はほぼ一色になっている。それはストライドの入った「基調黒」というものです。ホテルのロビーは、そうしたプロパーな連中の大集合場所となっている。もちろん、ワイシャツは依然としてひどくカラフルです。しかし、背広の色は見事に黒に統一されてきている。日本のように紫だったり、黄色だったり、緑だったりはしない。私の感じで言えば、70年代のニューヨークの方が大勢の人が着ているものはカラフルだったように思う。 diary だから結論のようなものを書く気はしません。しかし、今回は来てほんとに良かったと思います。来なければ、こうしたアメリカの変化は、なかなか分からない。聞いていただけでは。やはり必要なのは、定点観測ですな。


98年09月09日(水曜日)

 ははは、感謝を込めての文章ですね。着いた早々ですが、ニューヨークのミュージカルのチケットを取ってくれた村松さんに電話して、「本日お食事を一緒にいかがですか...」ということで、成立。夜7時にシェラトンのロビーで待ち合わせて、私と一緒に来ている(^_^)(^_^)土肥さんと3人で早速中華街に繰り出しました。どこに行ったかというと、「合記飯店」。好き嫌いが出る店で、彼が気に入ってくれるかどうかは気になりましたよ。でも、何となく「大丈夫だろう」という判断があった。

 このレストランの紹介はまた詳しく書きますが、「つぶ」(snail)と「蟹の卵とじ」が絶品なんです。彼はこのうち後者を気に入っていたようです。でも不思議ですな。初対面ですよ。でも彼は私のページを読んでいて、私はその彼と今回のことで何回もメールをやりとりしている。だから、あまり初対面という感じがしないのです。証券会社のトレーニーの方で、今一年経過したところ。あと数ヶ月で帰国の予定とか。ニューヨーク市場のいろいろな情報を社内のイントラネットに入れるのが主な仕事らしい。

 日本からブロードウェーのチケットを取ると、どのルートを通じてもいろいろなチャージを取られる。しかし、村松さんからは窓口価格でゲット。ご馳走したって安いものですよ。(^_^)(^_^)しかも、また知り合いが増えた。ネットワークの力に改めて感謝した一瞬でした。村松さん、本当に tks。
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 それにしても、ニューヨークはもう本格的な秋です。ホテルにいても寒いくらい。で、しょうがないので安いちょっとした寒さよけを買いました。チャイナ・タウンで。15ドルだというから、「じゃ13ドルで...」と言ったら向こうもしばらく考えて、「OK」と。しまった、もうちょっと安く言えば良かった。値切らないのは失礼ですよ....(^_^)(^_^)。

 そのホテルですが、日本のホテルに慣れるとこちらはダメですね。悪いホテルでははいんですよ。シェラトンの TOWER ですから。しかし、ローブは置いてないのは許せるとして、歯ブラシがない。もってこいといっても来ない。シャワーはハンドではない、綿棒はない...。なんでもサービスは日本が徹底している。10日からは本格稼働です。忙しくなる。11日はシカゴに行って、白塚さんと会う予定。日本はどうなっちゃってんの...という話しはなるべくしないで、アメリカの話しをしようと思ってます(^_^)(^_^)。
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 それにしても、マック人気はすごい。今日などニューヨークの大衆紙である NEW YORK POST の一面から5面まではマクガイアーの記事で埋まっていた。それに隠れてメッツの野茂投手が6人の先発メンバーから外れるかもしれない、いや外すべきだという記事を見つけました。バレンタイン監督は、先発をいままで6人で回すやり方を取ってきたのだそうです。しかし、野茂の調子がいかんとも悪い。今回は2回とちょっとで7点を取られたそうです。


98年09月09日(水曜日)

 ははは、今日はゾロ目の日ですか。でこの「ゾロ目の日」は、小生にとってとっても長いわけです。今暇な時間を見つけてニューヨーク時間の9日の午後5時過ぎにこれは書いているのですが、東京はもう10日の午前6時過ぎ。ウーン、長く起きていることになる。やはり眠いですね。今ちらちらとインターネットを見たら、東京ではいろいろなことが起きている。金融緩和があったり、銀行株が急落したり。しかし、わざわざニューヨークから東京の事にコメントするのもおかしいでしょう。で、ニューヨーク中心に。

 4年ぶりですかね、ニューヨークは。そのころはまだインターネットも始めていなければ、ホームページも無かった。最初に感じたのは、「やはり街は綺麗なった」というものです。ケネディ空港からマンハッタンまで続くバン・ウィック(高速道路)を使わずにわざとタクシーを Queens Bld (クウィーズ通り)を走らせたのですが、タクシーは「五年ごとに更新」というニューヨーク市の規定が良く守られていてとっても綺麗だし、道にもそれほどゴミは落ちていない。クウィーズボロ橋も綺麗に直っていた。街全体が綺麗になった印象がします。これは最近この街を訪れた人が一様に言うとおり。

 道すがらタクシーの運転手と話していて、「俺は20年以上前にここに住んでいたんだ...」と言ったら、「あのころに比べれば、より綺麗に、より安全になったのでは...」という話。で、歳を聞いたのです。そしたら、ブルックリン生まれの29歳だというのです。へ、こいつが7歳の時にもう俺はニューヨークにいたのかってなもんです。

 マンハッタンに着いてからチェックインにちょっと時間があったので、住んでいた 63st Broadwayのアパートやその近くのリンカーン・センターなどを見ましたが、街は綺麗になっても一部のビルは汚れが着いて汚くなっていた。私が住んでいた 30 Lincoln Plaza もそうでした。ガルフ・アンド・ウェスタンが消えてトランプのタワーが出来ていたのは、驚きました。まあこれからゆっくり見ますから、その辺の話しはまた。
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 それにしても空港と言うところは、いろいろな人に会うところです。今回も、為替の世界で深い付き合いのあった住友商事の藤本さん、それに彼の同僚の滝沢さんと東京駅の成田エクスプレス乗り場でばったり。藤本さんは見送り、滝沢さんはバンコクに赴任。「あっ」てなもんですな。藤本さんとは、48会なる会合でも一緒だったし、彼がロンドンにいたときは出張に行くと飯を食っていた。実は滝沢さんとも大阪でお会いしたことがあったのを思い出した。滝沢さんとは空港第二ビルまで一緒に行きました。

 成田では、ニューヨークから到着してさあ帰ろうというときに、大学時代に一番仲良くしていた村山と全くばったり会ったことがありました。なんと彼が隣に立っていた。これにはびっくりした。UBSのストラテジストお田中ちゃんとも一緒だったことがありましたね。都内をうろうろしているより、よほど知り合いに会う確率が高い。それにしても、全日空の便は混んでいました。ノースウエストがストの関係です。


98年09月08日(火曜日)

 「さようなら、マーケット・ライブ」

 今朝も眠い。起きたのが朝の5時頃。車に乗ってテレビ東京に着いたのが、5時40分。私はどちらかというと、局入りはいつもぎりぎりです。内山さんが、「どした、どした...」と気にし始めていたところでした。ははは、スタジオ入りは6時スタートの1分前でした。でも、前日も夜遅かったし、加えてフリップ用の POWER POINT FILE を作って、それをコンピューター出ししたりして時間がかかりますから、この番組に出るときは必ず寝不足になる。

 でもちょっと寂しいニュースを。この番組は9月末日をもって終了します。以前から知っていましたが、内山さんから「事実だから伊藤さん結構です...」ということで、今日書いているというわけ。番組のあとには朝が早いですから近くのホテルで食事をするのですが、今日も内山さん、吉野さん、それに野口君と朝食を食べながら、その話になった。4年続いたそうです。テレビ東京のこの朝の経済番組は、なくなったり戻ったり。私の記憶では「ビジネスマン・ニュース」が最初だった。鶴岡さんなんて人を今でも思い出しますね。

 それが一回終わって、でも「あの朝の市況番組は必要」という声が起きて(私もその方向であちこちに書いたりしましたが)、4年前に始まったのが内山さん、三原さんを中心にした今の「Market Live」というわけです。15分という非常に短時間の番組でしたが、我々が寝ている間に起きた海外市場の動向を鳥瞰するのに便利だった。二人の毒舌(?_?)も売り物でしたが。文ちゃんも、「思い出があるから、残念....」と。私はもう一度ニューヨークから帰った9月末の段階で出演する予定です。

 で、今度はどんな番組になるのか。うっすらとは聞きましたが、「Market Live」を取り込んだ45分番組になるそうです。槇さんとか、岡田さんとかおなじみの人が出るらしい。しかし、小生は聞きかじりですから正式発表を待った方が良いでしょう。でも、内山、三原の歯切れの良いコメントが聞けなくなるのは、ちょっと寂しいですな。まあ、新しい番組が良い番組になるように祈るばかりです。相場に携わっている人間にとって役に立つ番組でしたから、今の枠組みをあまり壊して欲しくない気がしますが。
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 ところで、グローバル・オンラインは8日の午後に復旧しました。サーバーが移転する...という通告はありましたよ。しかし、FTP が機能を失うなんて連絡はなかった。ですから8日の午前中に苦情申し上げました。「サーバー上のホームページに影響が及ぶとは思わなかったので...」とか言うので、「それは言い訳でしょ...」と。2日間も FTP が機能しなくなるなど、これで商売している人には大変な事態でしょう。

 私のは商売のサイトではないのですが、見ていらっしゃる方には本来アップされているものがされないというのはやはり迷惑でしょう。従来も申し上げていますが、小生のサイトは、GOL(http://www2.gol.com/users/ycaster)とDIGIWEB(http://www.ycaster.com/)が全くのパラレルになっている。この二つのフロントから入れば、自然とその下部にハイパーリンクが広がる方式です。ですから、どちらかがおかしい場合はもう一方を試していただければ幸甚です。
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 ところで、この次のアップはニューヨークからになると思います。


98年09月07日(月曜日)

 普段は信頼しているプロバイダー(GOL)なのですが、やはりサーバーの位置を変更する(引っ越し)となるといろいろとトラブルが生ずるようです。昨日からFTP してもファイルがアップできなかったり、メール・サーバーがダウンしたり。ですから、このサイトを GOL の方で見ている方は、「あれ更新していないのか....」と思われているのでは....と。やめたわけではないのです。FTP しても、ファイルが更新されないのです。ですから、こういうときは digiweb の方(http://www.ycaster.com/)を是非読者の方が試していてくれることを祈るのみなのです。オーイ GOL ちゃんよ、いつ回復するのかい......
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 それにしても、まあよう動きまんな。今日など午前10時の中値が一円動いてサスペンドになるまで12分でした。あっという間の円高。資本の動きは激しい。で、あちこちで言っているのです。一度動きが激しくなった資本がセトル(落ち着く)するには時間がかかる。よってこの不安定な資金の動きは今後も続く。「皆さん、覚悟しましょう.....」と。一日に4円でも、5円でも動くことは珍しくなくなるでしょう。しかも、材料に反応したと言うよりも、何かの弾みで。

 今の世界的な資本移動の過敏化に対する即効性のある処方箋は、残念ながらない。「協調利下げ」でも無理でしょう。世界の資本の動きに枠組みを与える作業は、哲学論争を巻き込んだ息の長いものになるはずです。世界中の投資家がやられている今の現状から見れば、資本の流れが安定したものになるには時間がかかる。どこかの講演会で言いましたが、今のように資本の流れが加速化した背景の一つは「証券化」だと思う。不動産でも工場でも、何でも証券化された。これは瞬時に買え、瞬時に売れる。不動産や工場を丸ごと売ったり買ったりするのは大変な作業だった。流動性を高めようとした反対側で、資本の移動が速くなりすぎた...という問題が生じたわけである。しかし、全体的に見て今の先進国は「証券資本主義」というにふさわしい情況になりつつある。
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 「吉野 弘」さんについては、木村さんがさらに調べてくれました。

 杉並の図書館へCDを返却するついで吉野弘さんを検索してきました。

 1926年山形県酒田市生まれ。祝婚歌は、詩画集「風が吹くと」に収められている。作者が51歳のときの作品です。ご参照本として続・吉野弘 現代詩文庫#119思潮社 ISBN 4-7837-0886X。最寄りの高円寺図書館で貸し出し可能状態です。.....

 ということでした。詩のプロということです。木村さん、tks。
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 面白いメールが来ました。
 はじめまして。東京の大西と申します。ホームページの方に気付いたら飛び込んでいて…

 まず私がホームページに何で飛びこむ事になったことから書きますね。実は食べる事大好きな私は「ひつまぶしネタ」を結構前から聞きつけておりました。で、インターネットを約1年前からはじめ「調べよう!!」と思っていたのですがその頃はちゃんとした名前がわからず「うなぎ」で調べたところ凄い件数が出てきてしまい…最近になって「ひつまぶし」という正式名を入手した所から検索していた訳です。そこに入っていたのが伊藤さんのホームページだったというわけです。

 すごくレイアウトも素敵ですね♪
 和食、イタリアンが好きな私には見ているだけで「行かなければぁ〜」と思わせられるお店がズラリでした。結構お店は知っていると自負していたりもしたし、友人からも重宝されていたはずの私が今回かなりの衝撃を受けましたね。伊藤さんを我が師匠とさせていただかなければ…Haha!!

 ところで、師匠に早速お願いが。「ひつまぶし」を東京または東京近県で食せるお勧めのお店がありましたらぜひとも紹介していただきたいのですが。よろしくお願い致します.....

。  うーん、知らないのです。静岡に勤務したことのある人に聞いたことがあるのですが、静岡にもああいう「ひつまぶし」形式の鰻の食べ方はないと。また発見したらここで紹介しましょう。名古屋にいって食べるしかないようですね、「ひつまぶし」は。
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 たった今読んだ ASAHI,COM のおもろいニュース。
全国初、埼玉県が来月からネットで発表情報を瞬時に発信

 埼玉県は来月から、資料配布による記者発表を改め、インターネットに発信することで記者発表とする方針を決めた。記者も原則として、一般と同じ情報をインターネットで得ることになり、従来の「記者発表」はなくなることになる。住民にとっては、世界中で同時に発表内容を得られるのがメリット。県は、「全国初のケース」と話している。」

 新聞社の特権剥奪ですか。でも良いことだと思います。記者クラブなんて、記者が楽をするだけ。他もある程度こうなるのでは。


98年09月06日(日曜日)

 昨日掲載した詩(文章)に関しては、実に多くの方からメールを貰いました。「結婚式の時に実際にこの詩の朗読を聞いた」(飛騨さん、石田さん、白塚さんなど)とメールを下さった方々から、「それは祝婚歌という歌であり、作者は吉野 弘さんであり」(Muramatsuさんなど)、「その吉野 弘さんは谷川俊太郎や石垣りんなどと並ぶ有名な詩人である」(後藤さん)まで。また、「(その歌に関しては)ここここのサイトをご参照下さい」とメールを下さったのは木村さん。皆さん many many tks。多分、月曜日に会社のパソコンで小生のサイトを見て、多くの方からメールをいただくと思いますので、今からお礼を(^_^)(^_^)言っておきます。ただ単に、「いい歌ですね、身にしみます」と言ってきた方も何人か居ましたが。

 そうですな。肩肘張って生きている時や、なんだか知らないけれど緊張感につつまれて生活している時にふっとこうした文章を読むと、ほっとなごむというか、虚をつかれるというか.....頭のベクトルの方向を変えるのに役立つ。今まで「許せない」と思っていた奴を急に、「ま、いいか」と思ったり、「いったい自分は....」と思ったり。しかし、相手がいる問題はまた顔をあわすと状況は元戻りするんでしょうな。(^_^)(^_^)両方がそういう精神状況でないと。まあ人間、こまかくつつきだしたらきりがない。どこかで飲み込む場所が出てくる。そのレベルは高すぎても、低すぎてもいけない。それにしても、たまには思い出した方がいい文書でしょうね、この吉野さんの文章は。
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 ニューヨークには年下のヘレンケラーを一人連れていくので、気楽なものとは違うのですが、まあ長くいた場所ですし何も問題もないだろうと思います。それよりも、95年に「東京マーケット・フォーカス」が始まって動けなくなって以来行ってないので、「どう変わっているか」が興味の対象。ニューヨークの株が不安定になって、絶頂期のアメリカとはちょっと違っているんでしょうね。しかし、絶頂の残り香はあちこちあるでしょう。興味深いのは、これからですな。

 いろいろな人に会う予定です。先行きに強気の人、弱気の人。見解が日本に伝わってきている有名な人ばかりでは面白くないので、それこそなるべく多くの人に会いたいと思っています。いろいろな方から紹介して貰いました。楽しみですが、うーん、問題は私の英語が使いものになるかどうか。普段は、ブルーンバーグ・ラジオを聞いているくらいですから。

 それにしてもインターネットは役立つ。紹介してもらった人に電話して、会う時間を決め住所を聞き....と言うことになるのですが、それをコンファームするのは決まってインターネット・メールです。これで安心できる。向こうのメール・アドレスも分かるし。多分小生のメール・アドレス(ycaster@gol.com)の方が短いだろという自信があるので、こちらのメール・アドレスを教えてメールを貰うわけです。「y for yesterday....」とか言いながらこちらのを伝えた後。アメリカ人が持っているメール・アドレスは結構長い。私が知っているメール・アドレスで一番短いのはしらちゃんの「shira@gol.com」です。これは忘れない。便利でんな。

 ちょっと重いのですが、ラップトップを持っていきます。シカゴのしらちゃんに聞いたら、AC ADAPTORは普通240ボルトまでの変換能力があるというし(実際そうでした)、電話ジャックは同じだし、プロバイダーのローミング・サービスの入り口はニューヨークにもある。まあ出来る限りニューヨーク報告をしましょう。確約はしませんが。アップすることが目的ではなく、見たり聞いたりすることが目的ですから。ただし、メールについては完全に対応できると思いますので、ご遠慮なく。行っている間も、かなりの方々とはメール連絡を取らねばなりません。出発は、9日の午前です。帰国は16日の予定。その間に、日本では何が起きるのでしょうか.....。


98年09月05日(土曜日)

 貯まりに貯まった資料類を整理していたら、何かの飲み会の時に誰かからもらったものだと思うのですが、A4 の紙に印刷されたちょっとした文章を見つけました。なかなか、良い事が書いてある。「吉野 弘」という名前が書いてあって、小生の友人にはそういう人はいないので、多分のこの文章の作者なのでしょう。ひょっとしたら、有名な方なのかもしれません。紙のままにしておくとなくしそうで、デジタルにしておきます。

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎることは長もちしない
ことだと気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい。

二人のうちどちらかがふざけて
いるほうがいい
ずっこけているほうがいい
お互い非難することがあっても
非難なんかできる資格があったか
どうかあとでうたがわしくなる
ほうがいい。

正しいことをいうときは
少し控え目にするほうがいい
正しいことをいうときは相手を
傷つけ易いものだと気づいて
いる方がいい。

立派でありたいとかいう無理な
緊張には色目を使わず
ゆったり豊かに光を浴びている
方がいい。

健康で風に吹かれながら生きている
ことの懐かしさにふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい。そして
なぜ胸が熱くなるのか黙っていても
二人にはわかるそんな仲であって
ほしい。

 この文章を書いた人は、多分結婚式の二人を想像しながらだったのではないでしょうか。しかし、その他以外でもいろいろな状況が考えられますね............


98年09月04日(金曜日)

 今日読んだ文章で一番興味を持ったのは、マレーシアの規制導入に関する政府発表の全文と、それに対するポール・クルーグマンのマハチール首相への公開レター。この二つの文章と、それが言っていることはなかなか面白い。

 まずマレーシア政府の声明文は、文章としてなかなか上手です。これは明らかに欧米のどこかに留学していた人間が書いている。マハチールも最後は筆を入れたでしょう。論理構成が巧みで、読んでいる人をかなり納得させる力を持っている。「(危機回避・危機再発防止には)国際社会の協調行動が必要なのに、その展望は開けない....」という部分も、「変貌した国際金融環境に対処するために、国際金融システムを改革することの方が重要」という下りもその通り。「それができないでしょ.....だから我々は外部環境がもたらすリスクや脆弱性からマレーシア経済を隔離するために、一連の措置を取る....」と説明してる。

  1. To limit the contagion effects of external developments on the Malaysian economy
  2. To preserve the recent gains made in terms of the policy measures to stabilise the domestic economy
  3. To ensure stability in domestic prices and the ringgit exchange rate and create an environment that is conducive for a revival in investor and consumer confidence and facilitate economic recovery.
 がマレーシア政府の今回の措置の目的です。
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 こに反応したのが、クルーグマンです。日本の一部の新聞でもこの「提言」は取り入れられている。このクルーグマンの提案に既にマハチールが返答したかどうかは知りません。クルーグマンは、合計四つの事を言っている。
  1. 規制実施に当たっては、日常のビジネスを出来る限り乱さないこと
  2. 為替規制はどのようにうまく実施されても経済に及ぼす影響は甚大であり、時間経過とともにその影響は深刻化する
  3. 為替管理が経済に最も打撃となるのは過大評価通貨を守ろうとする際であって、その場合投機に対する一時的な措置のはずが永久的な保護貿易に発展することを経験が示している
  4. 規制は改革を代替するものではなく、それを助けるものにすべきだ
 日本の一部の新聞には、「クルーグマンがマレーシアの措置に理解を示した」と解説している。しかし、文章の中味を見れば、彼が「規制」の持つ副作用や、それが恒久化しがちなことに強い懸念を抱いていることが分かる。彼がマレーシアの措置に賛成だったら、こんな文章を出さないでしょう。

 しかし、マレーシアの措置がその無謀さにも関わらず世界の関心を集めたのは、先進国も「加速する資本の動き」と「それが実体経済に及ぼす悪影響」をどのようにコントロール出来るかに関して、具体的には何のアイデアもなく、マレーシアの措置に虚を突かれたからだと思う。それが間違った措置であり、先進国が採用できない措置であっても、「では代わりにこういう措置がある」と先進国の指導者は誰も正面切って言えない。先進国でさえも、「今の度を超した資金の移動には、何らかの規制を....」という意見が出る時代なのである。
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 今週末には日米蔵相会談が開かれますが、宮沢、ルービン、グリーンスパンの三人は今の世界の金融市場の動揺に頭を抱えることになるでしょう。「協調利下げ」や「為替取引に対する何らかの規制」など今の世界の市場を落ち着かせる方策は種々考えられている。しかし、決定打はない。結局、日本は日本で、アメリカはアメリカで、そしてロシアはロシアでやれることをやりましょうという結論になる。しかし、それでは世界の金融市場は安定しないでしょう。

 マレーシアの取った措置が正しいとは全く思わない。同国国内でも、今回の措置に関しては批判が多い。外資を遮断したところで、どの程度同国経済が成長軌道を取り戻すことが出来るかは全く心許ない。まして、大量の資本を出したり入れたりしている先進国が取れる措置ではない。だから、マレーシアの措置が今の世界経済の処方箋でないことは明確である。しかし、では一体何が......ということだ。

 結局、万能薬はないのだろう。地道に、経済構造を柔軟なものにし、危機対応能力を高めるしかない。資本を機敏に動かしていたペッジファンドにも大量の火傷者が出ている。死屍累々であり、この傷がヒールするには時間がかかりそうだ。今の世界は明らかに、試行錯誤の時代に入っている。

 しかしそれにしても、マレーシアの声明文は立派だし、クルーグマンの公開レターも興味深い。日本政府にもこうしたことができないだろうか........


98年09月03日(木曜日)

 今回の名古屋出張では2日間に二カ所で講演会を開きましたが、そのどちらも全く聞く方に何もお渡しせずに行いました。いつもは資料を渡したり、インターネットをオンラインにしてそれをプロジェクターを通してスクリーンに映してお話しするのですが、今回は何もなし。一つはそうした場合に会場の雰囲気がどう変化するか、そしてどのような話しの展開になるかを知りたかったからです。

 両方とも50人くらいの人に集まっていただきました。相場が大幅に動いている時期だけに、どちらも参加された方々の関心は高かったと思います。特に、二回目の講演会では出席者の約2割の方から質問があった。つまり10人の方から質問をもらったということです。普通は50人を越える講演会で質問が活発に出るのは珍しい。しかし、今回は全く違いました。その意味では、資料がなくても、インターネットがなくても講演会はまずまずの成功だったというわけです。

 講演を聞く方の手元にはメモ帳しかない。最近の多くの講演会では、普通レジメだの power point だの資料が動員される。海外の金融機関のセミナーで一番多いのは power point file を用意して、それを別にプリントして講演会を進行するというスタイルです。私もそういうセミナーに何回も出ているし、自分でもやったことがある。しかし正直言って、あまりこれは頭に残らないし、もらった資料を持って帰ってもまず有効に使ったことはない。

 そこで今回は全く違う考え方をしてみたのです。つまり、何もなしで私の話しだけで一時間なり、一時間半の講演会をするという方法です。話しの組立と、中身が勝負というわけ。"(^_^;)"  私は講演会が成功したかどうかのメルクマールは、

  1. 寝る人がどのくらい出るか
  2. 講演後に質問がどのくらいでるか
 の二つで図っているのです。うーん、二回目の講演会で一人いましたな。時々頭が下がっていた人が。しかし、50人もいれば一人くらいはどうしても寝たい方がいらっしゃる。一定時間です。だからこれは、まあ許容範囲としましょう。今後も、様々な講演会の形を追求したいと思っているですが、どたなかとても変わっていてしかも参考になった講演会の具体的例を知りませんかね......。知っていたら、ご一報を....。
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 せっかく名古屋に行きましたから、昼飯は「ひつまぶし」で。相変わらず人気がある。よく出来た鰻料理です。東京に帰って夕方からは、出版社の人を誘って久しぶりにキッチン5に行きました。欧州料理旅行から帰った優子さんの料理は、やはり彼女の帰国直後に行く価値がある。一ヶ月以上閉まっていた後ですから、かなり込んでいた。ここの料理は、いつ食べても元気が出ます。


98年09月02日(水曜日)

 うーん、今日一番頭を使った瞬間。というか、一番はっとした瞬間。名古屋の支店で社内ネットワーク・コンピューターを使って自分の画面を呼び出し、メールを確認し、そしてある文書を印刷に回したのです。しかし、待てど暮らせ出てこない。ぶつぶつ言っている最中に、はっと気づいた。まてよ....もしかして青山のプリンターにコマンドが行っているのでは......

 私はいつもは青山のオフィスにいて、プリントは近くのプリンターから出している。印刷を自分の近くのプリンターで行うのは当然です。あまりにも当然で忘れている。しかし、これが落とし穴なのです。あまりにも当然だから、忘れてしまう。

 社内 LAN は日本全国の支店がつながっているから、例えば名古屋に来ても店内にあるどのネットワーク端末からも、ユーザー名(今は社員番号)とパスワードを入れれば、青山にいるときと同じように自分の画面を呼び出して作業が通常通り出来る。しかも以前書いたように、ネットワーク・コンピューターはカーソルの形状までもって回っているのです。そこまでは知っていた。プリンターのことも、ここから思い出したのです。ネットワークは、WINDOWS で言うところの「通常使うプリンター」を持って回っているのでは....と。

 つまり、プリンターの指定を変えなければ、名古屋で私が出したプリント・コマンドは青山のいつも使っているプリンターに行って、それが印刷先になるのです。うーんあの時期、青山のプリンターは忙しく動いていただろうな。結構大量の文書を印刷に回しましたから。

 「そうか....」とかぶつぶつ言っていたら、近くの名古屋の若手が「そうなんですよ伊藤さん、私は府中の研修所でプリントを出したら、名古屋に出力されました.....」という。名古屋の当該プリンターはその間、他の人が全く使えない状態になったという。大部だったうえに、ものすごく時間がかかったというのです。
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 でどうしたか。プリンターの指定を名古屋支店内のものに変えれば良いのです。しかし考えた。あさってにはもう青山に帰る。そこでまたプリント・マネッジャーを変えるのは面倒。で、印刷したい文書をその若手のアドレスに forward して、彼に印刷してもらった。

 これは時間がかかるからやらない方が良いのかもしれませんが、ここから連想するとこういうことが出来る筈です。つまり、自分が青山にいるままに、プリンターの指定を変えて例えば札幌支店の特定のプリンターに文書を印刷すると言ったことです。例えばこれは、その時点でその人がいないけれども、その人の為に大量の文書を事前に印刷したいときなどに有効です。しかし小生は技術者ではないので、遠隔地のプリンターにコマンドを出すときに生ずるネットワーク上の問題点は知りません。
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 世界的規模でネットワーク・コンピューターを扱っている人はどうしているのでしょうか。例えば、アメリカに出張して印刷コマンドをうっかり入れたら、いつも働いている東京に大量の文章が出てきた....というようなことがありそう。逆に言えば、日本にあるネットワーク・コンピューターからニューヨークのプリンターに印刷コマンドを入れることが可能なのですが......。


98年09月01日(火曜日)

 名古屋にいますが、それはとまれ月替わりですね。ですから、パワフルな「緊急提言」とパワフルな「ホームページ」を紹介しましょう。パワフルな「緊急提言」とは、「何をなすべきか、何からなすべきか」という「外資系情報産業研究会」作成のもの。実はこの提言は、日経産業新聞には7月の23日に掲載されて、この新聞をとっている小生も目にしました。

 しかし今回この報告書の作成にあたったアクセス・メディア・インターナショナルの越智さんにこの報告書全文を送ってもらったので、改めてここでも取り上げます。この報告書が提案しているのは三点。

  1. 電話料金の引き下げと市内料金の定額制への移行
  2. 個人のIT 投資(特にパソコン購入など)に対する税控除措置を供給
  3. 電子取引に対する時限的な消費税免除
 確かに日本の電話料金は高い。特にテレホーダイ以外の時間帯は、とても安心してインターネットで調べごとをするような気分になれない。どこかで、「急がなくては」と思ってやっている。こんな状態で、「インターネットの達人」が生まれる筈がない。達人に達すれば、あとは短い時間で何でも調べられるようになるのですが、そこまで到達しないうちに、大部分の人は「インターネットは金がかかる」と半分撤退状況になる。これは、ネットワーク社会の浸透には、極めて好ましくない状況である。安くすれば使用量が増えて、電話会社の手取りはあまり減らないように思うので、私もこの電話料金の引き下げには大賛成です。

 あとの二つの税控除措置も、妥当なものでしょう。IT端末は既にマストの存在になっている。仕事をするにも、遊びを設計するにも。しかしその必需品を多くの人は、「高価なもの」として眺めている。社会の効率性の向上は、あるレベルの人数の人が、あるレベルの水準をクリアしたときに全体に大幅に向上する。一人二人がうまくできる状態では、企業の効率性が上がらないのと同じである。なるべく多くの人が、大容量のデータや地図や写真を苦もなく送れるようになるのが望ましい。

 海外のパソコン・メーカーの首脳達が言っているのだから、実は「うらんかな」の気持ちだけでこの提言をまとめたのではないかと考えるのは、勘ぐりであると思う。筆者も、これらの措置は今の日本に必要なものと思慮します。
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 ところで、パワフルなホームページとはこの拒税同盟のページです。水木楊さんが書かれた小説「拒税同盟」を読まれた読者も多いでしょう。あの小説にはインターネットを使う場面が何回も出てきますが、それを実現するために作られたのがこのページです。といっても、立ち上がったばかり。見ていくと、あちこちに「under construction」がある。

 しかし、なかなか工夫した面白い作りをしている。設計だけを見てもです。コンテンツも賛同できることが多い。先日読んだ本で「まさしく歴史は繰り返す」(渡部昇一さん)を紹介しましたが、今の日本の租税制度は本当におかしい。「みんなが払って、大事に使う」というのが小生の税に対する基本的な考え方です。しかし今は、「一部の人が払って、無駄が多い使い方をする」が原則になっているように見える。日本が税の集め方、使い方がうまかったら、今のような問題の多い国にはなっていないでしょう。

 このサイトの発展には関心を払いたいし、「税」に対する一般の人の関心がいくらかでも高まればと思います。考えれば考えるほど、源泉徴収はひどい制度です。給与明細を見るとむかっとしますが、もうそのときには税金を取られている。たくさん取られているのに、北朝鮮のミサイルも独力では捕捉できない。なんという.....


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