<メールの限界と効用-Cyberchat>

 やっぱし違うなあ..........というのがこのところの印象です。講演だったり、寄稿だったり、出演だったり、いろいろな依頼が私の所には舞い込みますが、やっぱり「会う」「会わない」で大きく違うのです。

 何が違うかというと

  1. 私のサイドの相手側の意図の把握の進み具合
  2. 頼まれた先の為にしてやろうという私のサイドのやる気
  3. 開催日時や締め切りに関する当方の気のかけ方
 いろいろなタイプがあります。メールで依頼し、メールでやりとりし、一度も会わないまま仕事をする。当日に会って、そのまま終了。講演依頼などであるタイプ。原稿でも、「御願いします」とメールが来て、書いて、送って、掲載紙(誌)を送ってくるタイプ。もうすでに知り合っている仲なら良い。しかし、最近は全く知らない人からの依頼もメールベースになるケースが多い。

 面倒ないと言えばそうだが、私の体験から言うと「メールだけの依頼」というのは、講演でも原稿でも、依頼者の意図がどうも見えないことが多い。分かったようで、少し時間が経つと「あれ」ということになる。電話はもう少し記憶に残る。メールの本数より電話の本数の方が少ないと言うこともあるが、主には依頼者の声やその声の調子が耳に残っているからだと思う。それが私のサイドに残る情報や責任感になる。

 会えばもっと意図が伝わる。相手の顔を見れば、その後ろにある団体や雑誌(紙)の性格や、何を望んでいるのかが分かる。30分話をすれば、ものすごく親しくなれるし、その間に付帯情報も絶え間なく交換される。会って依頼された講演や原稿を忘れることはまずない。

 アメリカの本に「トンネル効果」という言葉が出ているのを読んだことがある。メールはトンネルを走るようなものだ、という意味だったと思う。付帯情報はない。用件だけが伝わる。それはそれでいいが、本来の人間の情報交換というのはそういうものではない。

 やはり依頼者と被依頼者の意志疎通がきちんといき、プロダクト(講演、原稿、出演)などが双方の思い通りに行くためには、「物理的 meeting」が極めて重要だと思う。日本ではあまり報道されなかったが、あのインターネット社会の落とし子のようなシスコ・システムズで、「メール使用の抑制」と「職場で従業員相互の意志疎通の為のスペース設置」が推奨されている事実は、メールが持つ利便性の裏の「メール意志疎通の限界」を示している。
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 メールがめちゃ便利なのは、私のように過去1〜2年分のメールを全部そのままとってある(このまえ99年のメールは全部捨てました)人間にとっては、過去のやり取りをいつでも検索できるということです。ラップトップにもデスクトップにも同じ過去メールが残るようにしてある。過去のメールをそこから「検索」するのです。

 会合の予定、〆、向こうの趣旨の再確認などなど、いちいち別ファイルに保存するのは面倒です。メールに残して置いてそれを検索することで確認できるのが便利です。「件名」「差出人」「本文」などが良く使う検索条件なのですが、この「件名」を思い出すことはまれ。一番多いのは、「差出人」でその人のメールアドレスのどこか、名前、プロバイダーの名前などなどを覚えているケースが一番多い。だから私は、メールアドレスのどこかにその人と素早くつながるファクターが入っているものが歓迎です。

 記憶に残るアドレスが良い。変わった名前のプロバイダーだとか、名字がそのままアドレスに入っているとか。一番困るのは、名前もどきが入っている場合です。名前の一部とか、名字との組み合わせなどでメールアドレスが作られている場合には、探し出すのに苦労する。

 どうしてもその二つで分からないときには、推量から「本文」の中にある単語を思い出します。「講演会の件」とか「次の会合予定」とか。そのメールにしかなかったような単語を思い出す。それを検索単語として検索をかけるのですが、デメリットはすべての本文を検索しますかr、これは時間がかかる。しかし、final weapon であることは間違いない。
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 ということは結局こういうことです。メールは凄く便利なツールです。何かに付け使うべし。それは一種の記録でもある。しかも、すぐに検索できる記録です。デジタル化されている。

 しかし、「トンネル効果」しか持たないメールはしばしば危険でもある。意志疎通の齟齬が会って話すときよりははるかに生じやすいし、相手の印象にも薄くしか残らない。肝心な時には会って話すか、そうでなくても電話で音声情報を相手に伝えた方が良い。

 メールも使いようなんです。
ycaster 2000/12/03)



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