<疾走する上海(2002年の中国)-Cyberchat>

 2000年、2001年に続き、2002年も秋に中国に行きました。2000年に行ったのは大連、青島、それに煙台でした。つまり東北部。2001年は中国の南の深部に攻め入り、重慶、宣昌(ぎしょう)、武漢、そして上海。山峡下りの船の旅を入れながら。2001年まで2年連続して一緒に行ったのは全日本鍋物研究会の方々とでしたが、2002年の今回はフジテレビのスタッフの方々と。

 行った場所は上海のみ。フジテレビで私が出ている番組(EZ!TV)の上海特集の現地ルポの一員として。あまり自由な時間がなかったといえばそうなのですが、取材という明確な理由があるだけに逆に普通では入れないところに入ったり、様々な上海の方々と話が出来た。これは収穫でした。

 フジテレビのクルーや通訳の方と一緒に上海の朝の静安公園にて変貌する街・上海について私が訪問後2週間くらいの間に書いた文章をまとめたものです。雑誌などに書いた文章は含まれません。このネットサイトに掲載したもの中心です。


2002年09月21日(土曜日)

 (15:00)上海に移動してきています。去年は9月の初めに来ましたが、今年は9月も下旬に入ってから。まあちょうど一年。上海蟹を食べに来たのではありません。去年は短い間しかいることができなかったので、「是非もう一度」と思っていたら、フジテレビの番組関係の取材が入って、日本が連休のこともあって今年も来ているもの。

 去年は虹橋空港に着き、そこから市内に入りましたが、今回は浦東空港から。やはり雰囲気が違う。半年前までこの地にいたひとでさえ、「もう変わっているだろうな」という上海ですから、前回来たときから一年間の変化を見るのが楽しみなのです。といっても、昨年は確か24時間も居なかったと思う。

 でも今年も思うのは、「アメリカにとってニューヨークが異質であるくらい、上海は中国にとって異質かもしれない」ということです。去年は重慶、宜昌から武漢と移動する中でインターネットの接続にものすごく苦労した。もっとも船の上が長かったので、ある意味では自然ですが。しかし、ここ上海のホテルでは inter-touch という会社の高速ネットが走っていて、рするまでもなくネットに接続できる。見たところ、ADSLの高速バージョンのようです。東京とそういう意味でも、ちっとも遜色はない。

 上海は何から何まで、中国の中でも傑出した都市になりつつある。今回もauのグローバル・パスポートを持ってきていますが、実は今回の中国訪問に際しては、知り合いがたくさん同時に来ている。テレビやラジオの関係です。彼らと異国の地にもかかわらず、自分が日本からもってきた電話でいくらでも、いつでも電話ができるというのは素晴らしい。

 今回一緒に来ている矢野君、三島君、小島さんなどは私より数日から一日早く来ていて、私が最後の到着ですが、24日まで居る予定です。なお昨年の中国記はここにありますが、どのような訪問記になるのやら。(15:14)


2002年09月22日(日曜日)

 (23:59)行く先々で、スタバなどでちょこっとお茶を飲む時間を見つけて周囲を眺めたり、そこそこにある公園の椅子に座って街やそこを通る人々を見たり、街の音や臭いを聞いたり嗅ぎながら、「何が違うんだろう」とずっと考えています。むろん、日本や東京やそこに住む自分の日常、その周辺と比べて。

  1. ドイツや日本の技術であろうとも、何でも取り入れてしまおうという当局から民衆までが持つこの街のどん欲さ、そのどん欲さからくる変化の早さ

  2. 7歳から英語の勉強を始め、14歳で毎日2時間は英語の勉強をして、「もっと国を発展させたい」「サイエンティストになりたい」「ジャーナリストになりたい」と英語でしゃべる上海の中学生、高校生達

  3. すぐ両隣に見上げればクビが痛くなるほどの高層ビルの谷間に、6畳と4畳半の、とても綺麗とは言えない2部屋で、どう考えても貧しい生活(3人家族でこの3人の稼ぎを足して、年収6000元=1元16円、キッチンは3家族共用、風呂も共用でシャワーのみ)をしながら、「70年も住むこの建物も(5階建て)、早く上海市地区の開発計画の対象になって欲しい。一人一部屋の新しい家(日本で言えばマンション)が貰えるから」と開発と変化に期待を寄せる人々

  4. 夜11時を過ぎても黄浦江の両岸(ワイタン、プートン)の夜景を見に大勢の人が集まり、午前1時を回っても街のあちこちにあるレストランに集まっては食事をする、とても国是が社会主義の国の人とも思えぬ自由さを満喫する人々

  5. 日本に持っていっても「なかなか綺麗な街」(たとえば新天地)と言えるような地区から、一歩入ったところに厳然として存在する古さ、貧しさ、そして破壊と建設のラッシュ

  6. すさまじい「競り合いの運転」の波の中にあって、目的地に鬩ぎ合いながら邁進する無数の自動車と、それに横目を使いながら、しかし悠然と行き交う自転車と歩行者の群れ

  7. この街に集まる凄まじい数の日本人を含む外国人と、それだけ集まってもまだ「この街にはチャンスがある」と考える彼らの想念と、事実「高い店ほど人が入る」と言われ、ホンダのアコードがメチャ売れする車社会を迎えたこの街の持つ凄まじい富と、それを楽しむ人々

  8. しかし、にもかかわらず、人々の着ているもの、食べるもの、抱えているバッグから何から、イマイチ、イマニと思えるこの街の現実

  9. 親子、友達。年齢に関わらず、手をとりあって歩くことが多い上海の女性達と、しかし気にしていても目を奪われるような人がとても少ない上海という街

  10. タオルは少し良くなったが、まだ飲めないばかりか、風呂にためるとやや濁った水と、しかし一方で持っていった自分のコンピューターが一発で館内LANのシステムと繋がってしまう上海のホテルのアンバランスさ
 と挙げていけば数限りない。10数年前に初めて中国に来たときに比べて「何が違ったか」とも考えたら、最初に思いついたのは笑顔でした。店に入る。その時は、レストランでも女性従業員は全くニコリともせず、「何を食うんだ」という感じでこちらを睥睨し、料金を払えばおつりを投げてよこしたものです。

 しかし今は違います。レストランでも店でも、まだ日本ほどではないがどこでも女性の笑顔を見ることができ、「シェーシェー」という言葉を聞くことができる。「私が来た4年前に比べても、これは大きな違いで、それができない店はこの上海でもどんどん潰れているんですよ」とコーディネーターのゴー君(日本人です)。資本主義、カスタマー・ファーストは貫徹しつつある。

 たまたまオープン直前から取材した味千という日本系のレストランでは、開始直前に入ったばかりの女性従業員を含めて、女性従業員全員が何十回となく頭を下げ、笑顔を作って上海語と日本語なまりで「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と練習をしていました。それを女性従業員の一人に聞いたら、「挨拶はとても大事です.....」と。これは、この店が日本の店だからではない。

 実用線としてのリニアモーターカーの駅は、ある意味で衝撃でした。完成想像図があって、その上にはずらっとドイツ企業の名前が。一説によれば、日本は「まだ完成していない」とか何とか言ったのでしょう。技術の供与を断ったらしい。で、上海は浦東空港と市内に通じる地下鉄駅までの43キロ(でしたっけ)を10分で結ぶ路線に、ドイツ製のリニアを選び、その駅舎はすでに完成していた。技術開発国であるドイツでも、日本でもなく、何も技術がなかった中国で最初に実用車として走るリニア。その先進性がこの上海という街の一つの特徴です。

 上海の中学生、高校生(新聞記事を制作していると言っていました)と会ったのは、この駅舎でです。向こうから話しかけてきた。女性3人、男性一人の4人の子供達が、先生と思われる人に付き添われて。この先生は、写真を撮ることに忙しいふりをしていたな。たぶん、子供達が英語を喋れるのに、彼は喋れなかったんだろうな。(^o^)ハハハ 一人の女の子は、来年日本に来ると行っていたな。

 今年来て良かったと思うのは、なにせ去年は20時間ちょっとしかいませんでしたが、今回は時間がある。なるべく多くの人と話そう思っているし、実際取材もあるので話しができている、ということです。中国語ができれば一番良かったんでしょうが。まあ、それは仕方がない。(00:25)


2002年09月24日(火曜日)

 (23:59)忙しくてなかなか更新できないのですが、火曜日の午後に日本に帰ってきました。昨年は短時間ステイで後ろ髪を引かれる思いでしたが、今回は数日間滞在し、テレビのクルーの方々に引きづり回されながらでしたが、要所要所に自分のしたかったことを入れて、それなりきに今の上海でしたいことを全部してきたかな、という感じ。多くの上海の人とも話しましたし、地下鉄にも乗ったし、巨大な建設現場も見たし、ビル群も見たし、新しい発見もあったし....。うーん、食事がイマイチだったな。

 まあ一番の興味は今の上海の人達がこの大きな変化をどう見ているのか、にありました。「こんなのは良き上海の破壊だ」みたいなことを言う人がそれでもいるのでは、と思っていたのですが、少なくとも話を聞いた人の中には一人もいなかった。歓迎一色なのです。それは実に見事に。素早く上の階層に移動できた人たちはむろんのこと、まだ古びた、とても狭い、そしてどう見ても綺麗とは言えないアパートに住み続けている人もそうなのです。

 「いつか私も繁栄に乗れる」「もっと豊かになりたい」というのが、上海の人たちの願いだと分かりました。130u・1000万円ちょっとの値段で自宅マンションを買って住むある家庭で10年後の夢を聞いたときに、ご主人は明確に「上海の郊外に別荘」と言い切りました。買うお金もないが故に、別荘などを持つと邪魔なだけ、面倒なだけと思っている私のような人間には、「へええ」という感じでしたが、まあ気持ちは分かる。二台目の車、世界で活躍できる国際的に人間になって欲しいと娘に望むこの家の親。

 そうなんですな。上海の一つのキーワードは「国際化(internationalization)」です。それは、人の教育の面(子供に対する徹底した英語教育)でも、新しいものの取り入れでも発揮されている。写真に掲げたのは、上海の公共交通機関で使われているICチップ入りの非接触型乗車券カードです。日本で言えばスイカ。130元で買い、100元の乗車賃が含まれ、追加が可能です。日本より進んでいるのは、このカードの裏側(右側)で分かるのですが、上海の公共交通機関全部が乗れる、ということです。スイカはJRだけです。地下鉄は端から端の一番遠くに行っても60元(一元=16円)くらいでした。

 この技術が中国のものかどうか知りません。知らないんですが、この上海という街は「made in ?」を気にしていないように見える。リニアは来年の末には実験が始まると見られていますが、ドイツの技術を使っている。ビルの建設にでも何にでも、世界最高の技術を持つ会社が招かれているのでしょう。「国際入札」という言葉を随分と聞きました。最新技術をどしどしと入れている、起きているのは発展の中間省略です。だから上海の変化速度は、すこぶる早い。
 ――――――――――
 テレビのクルーの取材に同行した後の今の楽しみは、彼らがあれだけの時間を使って作ったビデオを、どこに視点を置き、どう編集し、テレビ的であろうともどう纏め、それが私の視点でどのくらい一致し、また違ってくるのだろうか、という点です。

 それはそれは、撮影場所は多く時間は長かった。小島さんだけのパートは別にして、私はその残りのほぼ全部に参加したのですが、私の問題意識、カメラ目線と彼らのそれは違う。それがどう出るか楽しみなのです。定番的な上海モノではないものが出てくると、面白いなと思っているのですが。私も楽しみ。

 私自身の文章は、来週の初めぐらいに少し長く纏める予定です。


2002年09月28日(土曜日)

 (12:55)上海のホテルのIT担当に教えて貰ったことです。そして改めて思ったのは、「自分はPCの能力の一部しか知らないし、従って一部しか使ってないな....」と。そして、上海のホテルのIT担当は、日本のホテルのIT担当より進んでいるのかもしれない、と。

 何かというと、これまではいつもは海外では電話ラインを使ってグリック接続していた。日本のプロバイダーの提携先(海外現地のプロバイダー)にローカル電話して、そこからネットに入り込む方式。今回の上海の出張でも、上海のグリック先をチェックして行った。頭の片隅で、「そろそろLANカードも使えるかもしれないな....その場合は借りるかな...でももって行こうかな...」と。

 上海に着いてホテルに入ったら、机の上にADSLか光のネットワーク端子が出ている。「へえ、これが使えるんだ。これなら便利」と。電話より何十倍と早いことは分かっているからです。で、何を考えたかというと、「しまった。東京で頭をかすめたのにカードを持ってこなかった」と。LANカードの事です。3Com の10/100LAN cardbus。実は既に書いたように、東京の家を出るときもって行こうと思っていた。それを忘れたので、直ぐそれが思い出されたのです。

 そこで考えたのが、「カードは借りよう」ということです。日本のホテルでは大体がLANカードは貸してくれる。署名すれば。上海のホテルでも借りられました。これで大丈夫...と部屋に帰ってきて装着しようとしたら、出来ない。LANカードにいろいろなタイプがあるとは思わなかった。で、ホテルのITセクションに電話したら、「とにかく行くから」と。

 若いお兄さんが来た。私のVAIOのカードスロットを見て、「このタイプはここにはない」とおっしゃる。しかし、その後が素早かった。「しかし、カードは内蔵では....」と小声で言う。私もネットワーク端子口らしきものは知っていた(VAIOのSRX7では左の奥)ので、「これの事か」と言ったら、そうだと。彼はとっとと私のPCに取り付き、マイコンピューターのプロパティを開いてハードウエア→デバイスマネージャーと進み、インテルのpro/100 ve デスクトップ・アダプターを「有効」にして、コンピューターを立ち上げた。

 それだけで、カードなしでPCのネットワーク接続の完了です。そりゃそうだ、もともとカードは内蔵されていたのだから、そうなる。実は、持っていったPCをネットワークにつなぐには今まで東京でもカードを使っていた。一つしかないカードスロットをこれに使っていたのです。なんという勿体ない。

 そこで思ったのはこういうことです。「俺も知識がないから上海まで来てやっと教えて貰った。しかし、日本ではどうだったかな...」と。実は、日本ではホテルによっては貸しLANカードのカードでお金を取ろうとするところもある。無料で署名だけで貸してくれるところでも、こちらのPCをよく見て、そのお客にはLANカードが必要かどうか、内蔵かどうかの判断を示してくれたところはない。つまり、上海のホテルのIT担当は、日本の一流ホテルのIT担当者より遙かに知識が豊富だったということです。LANカードの内蔵を一発で見抜いたという点において。

 上海のホテルは水はダメだし、まだ悪いところが一杯ある。石鹸もよくなかった。全部を見たわけではないので知らないが。しかし、IT関係はメチャ進んでいる感じがする。スタバの前でインタビューに答えてくれたインド人の技術者も、「このところ進歩が凄い」と。

 PCなどの量販店に行って一番助かるのは店員に商品知識が豊富なことですが、恐らく世界のホテル利用者にとってもホテルマンに幅広い知識があればあるほど、そのホテルは魅力的になる。この広い分野の知識がないとダメ。

 電話線に、従って電話番号に依存しないネットワーク接続が世界中で出来ることは、出張先、旅先でのネットワーク利用が非常に簡単になる、と言うことです。私のような世界のどこに行ってもネットワークを必要とする人間には、非常に便利です。

 おそらくあと数年で、「電話番号依存のネットワーク」、「接続アイコンの設定」などというものは、過去の遺物になるのではないか、と思いました。PCを立ち上げただけでネットワーク接続が出来ていて、それが自宅であろうと、友人の家であろうと、そしてホテルであろうと常に接続している、ということになるのではないか。ほんま、あちこち行くと勉強になる。(13:36)


2002年09月30日(月曜日)

 (09:50)上海の地下鉄に乗って宣伝を見ていたら、見慣れた「ユニクロ」の赤い文字。「ああ、もうすぐ開店だ...」と思ったのですが、今日朝日のネットを見たら、

 カジュアル衣料のユニクロが30日、上海市内に2店舗を開く。中国製で急成長したユニクロだが、現地出店は初めてで、英国に続く海外進出。運営するファーストリテイリングの柳井正社長は29日の記者会見で「今後10年で世界の主要市場に進出したい」と語った。

リニアモーターカーの予想図と予想駅舎  中国での店名は「優衣庫」。同時オープンの2店は上海市中心部の目ぬき通り沿いで、売り場は約1000平方メートル。目玉のフリースは開店記念価格の69元(約1000円)だが、通常は日本とほぼ同じ129元(約1900円)で販売される。

 中国の流行先端地として欧米のブランド店が並ぶ上海で受け入れられるかどうか、中国での成否はユニクロの経営戦略を左右しそうだ。 (09:27)

 と。「優衣庫」とはなかなか良い文字ですね。中国語の発音は分からないのですが、「れた料の倉」ということでしょうか。中国の、上海の人たちにそう思ってもらえるかどうか。

 ちょっと心配なのは、「東京では、または日本ではもうユニクロは売り上げが落ちている」という情報は、今の時代もう伝わっているのだろうな、ということです。情報は世界を駆けめぐる。日本で人気のブランドにしても、海外でも高い評価だということがまた日本での売り上げ増に繋がっている。日本での評価が落ちてきたユニクロが、製造元の中国でどう評価されるかは、同社の先行きを占う上で重要でしょう。(09:55)


2002年09月30日(月曜日)

 (12:35)「優衣庫」に関しては、上海の長谷川さんから早速メールを頂きました。彼とは、「消費市場としての中国」の先行きに関して上海のホテル近くのレストランで暫く議論した。矢野君も一緒だったな。私は期待大という意見であるのに対して、彼は期待薄という見方。

 一つの問題に関して意見が対立するのは、楽しいことです。彼の「期待薄」の根拠の一つは、「日本にはそれほどブランドに値するものがあるのか」という意見。しかし小生は、ソニーにしろトヨタにしろ、またいろいろなものに対する中国人のハーリー族的な嗜好は強いのでは、という意見でした。

 ただし私も、ユニクロが上海で成功するかどうかに関しては、自信はない。おそらく難しいでしょう。直感ですが。日本で勢いが良かったときの方が、はるかに可能性は高かった、と思う。香港では、サントリーがビール市場を支配するなど、日本企業の活躍は目立つものになっている。

 伊藤さん、長谷川/上海です。先週はご馳走になり有り難うございました。

 さて、掲題の件、無理矢理カタカナ表記すると「ヨウイークー」です。 ユニクロという音と意味を組み合わせておりなかなか良い中 国語名だと思います。地元の新聞にも派手に広告出ていました。

 既に安くてそれなりに市民に浸透している香港系カジュアル衣料 チェーンが中国に複数ブランドありますので、安いだけでは客はつ かない。日本ではびっくりするぐらい安いというイメージの強い価格 も中国では全く驚きに値しない(えっ、こんなに高い値段で売るの? という驚きはありましたが・・)ので、ブランド名と品質が何処まで通 用するかがポイントとなると思います。Made in Japanの最終商品がどこまで中国市場に食い込めるかという点で注目しています。


 以下の文章は2002年09月10日にnews and analysis 用です。中国訪問のまとめの文章となっています

《 Shanghai Speed 》

 さて、一年ぶりの中国特集です。9月の21日に行き24日に帰ってきました。昨年と違って、今回の中国訪問で行った都市は上海のみ。しかし、船の中で過ごした時間が長く、都市は一日ごとに移動した去年と違って、激しく変貌する上海という都市をかなりしっかりと見ることが出来ました。先週も書いたように、成長戦略が描けないG7諸国にとって、台頭しつつある国・中国は将来のいつかの時点で真剣に取り組まなければならない相手だ。しかしそれを待つまでもなく、実を言えば中国経済は既に深く先進国経済に組み込まれている。

 最新統計によれば、中国には国営を含めて「企業」と呼べるものが1000万社あると言われている。そのうち外資系企業は38万社。全体のわずか3.8%に過ぎない。しかしこの中国全企業の3.8%に過ぎない外資系企業が、中国全体の工業生産の27%、中国の輸入の47%、中国の輸出の53%をまかなっているというのである。 ということは、我々が手にする、目にする製品が「中国製」と書いてあっても、実は中身は外国企業が生産から輸出までをリードしたものかもしれない、いやその可能性が高いと言うことだ。つまり、我々が想像している以上に中国の経済は世界経済に既に組み込まれていることを示している。

 今回のレポートのキーワードは以下の通りです。やや順不同です。

「上海スピード、さらには浦東スピード」
「描かれた遠大な計画→情報都市へ」
「発展段階の中間省略」
「最新のものを逡巡なく」
「国際化」
「世界に先行する実験都市」
「人材育成」
「疾走する街、歓迎する市民」

 今の上海を象徴するのは、なんと言っても「上海スピード」、または「浦東スピード」という言葉である。IT(情報技術)の世界には「ドッグイヤー」という言葉がある。犬は人間より7倍の速さで生き、寿命を終えると言われるところから情報通信産業で使われてきた。 

 「上海スピード」とは、正式には1600万人、不法滞在者を入れると2000万人に達する人口を抱える中国最大の都市の、すさまじい変化の速さを表す。それは、「住んでいる人間でも、変化についていくのが大変」(上海の日本人)という言葉に象徴される。その上海でも成長著しい浦東地区(上海の旧市街から見て黄浦江の反対側)の変化速度を表す言葉が「浦東(プートン)スピード」だ。プートンはもともとはのんびりした農村地帯。変化は上海の旧市街よりよほど速いから、別の言葉が生まれた。

 上海の街を歩くと、林立する大きなビルの谷間の古い取り壊しの対象となっている地区の街の壁に、「爆破告示」というポスターが張ってあるのに時々出くわす。日本で言う「取り壊し」を、「爆破」から始めるのだ。何月何日何時に一次爆破、二次爆破はいつと書いてある。まるで鉱山開発のように進む上海市の旧市街の取り壊し。そしてそこに出来る新しいビルやマンション。喜々として新しいマンションに移る住民達。

 なぜたった4〜5年で東京の2倍とも言われる超高層ビルが素早く建ったのか。ビルの見る間での林立は、「上海スピード」「浦東スピード」の象徴だ。それは、東京やニューヨークを見慣れた私のような人間をも圧倒する。

 短時間でのビル林立の理由は、第一に規制が緩やかなこと。東京では夜の一定時間、例えば午後7時になるとビルの建設工事は止めなければならない。上海にはそんな規則はない。爆破で整地された後に、24時間の突貫作業でビルが建つ。一日何時間でも働く労働者はいくらでも居る。日本には労働基準法の縛りがある。

 第二に、地震がない。通訳をしてくれた陸さん(半世紀は生きている)は、「子供の頃一度あった」と言っていた。彼女は日本に来たときに何が恐ろしかったかと言って、「地震だった」と語った。耐震構造にしなくて良い分だけ、ビルは安くできる。

 第三に、開発を推進するのは市で、土地は市か国のもの。つまり、安価にビルを建てられる。第四は、たとえそこに何千人の人が住んでいようが、収容にかかる時間は実に短いという点だ。森ビルの六本木開発にかかった時間の長さは語り草だが、上海の浦東地区では今のハイアットが立っている地区は3500人もの人が住む地域だったが、たった2年ほどで立ち退きを完了している。

 上海は上にだけ伸びているのではない。あとで記述するが、今の上海を二つに割る黄浦江(長江の支流)の下に世界でも珍しいダブルデッキ(一本のトンネルを上下二層にして、ともに車を通す)のトンネルを2本掘っているが、ヤオハンの近くの工事現場で工期を見て仰天した。「2002年4月〜2002年12月」となっていた。とんでもない「上海」「浦東」スピードだ。

《 and it is intended 》

 重要なのは、そのスピードが「意図されたもの」だという点だ。先に市の関与を少し書いたが、上海の大発展の背景にあるのは遠大な都市計画である。 日本の百科辞書で「上海」を調べると、

 「中国の揚子江河口近くにある都市。南京条約で開港した古い貿易港で、第二次世界大戦前は英・米・日の共同租界とフランス租界が設けられ、国際色豊かな半植民地都市であったが、革命後大工業都市に変わった。 」(マイクロソフト・小学館のブックシェルフから)

 などとある。つまり上海は「大工業都市」だと。日本の企業も少し前までは上海に盛んに工場進出した。事実、浦東の森ビル(名称はHSBCビル)の最上階から下を眺めると、直ぐ下には造船所が見える。上海が工業都市だった残しょうだ。しかし、上海市当局は少なくとも市街地からは二次産業を排除して、上海を「巨大な情報都市」に変貌させようとしていた。「上海=工業都市」はもう古い。上海は消費と情報の街になりつつあるのだ。 市当局はこうした市街地の近くに残る第二次産業の部分(各種工場、造船所など)を、浦東地区の市街地からははるかに遠いところにすべて移転させる計画を立てている。

 これに関連して言うと、上海を中心に中国に進出していく日本企業の顔ぶれにも大きな変化を及ぼしているようだ。日本企業の中国進出でコンサルタントをしている人たちは、「今年の春から日本企業の中国進出の形態が変わってきた。それまでの工場進出から、販売拠点、設計拠点、ソフト制作会社、さらには研究開発拠点の設立という形での案件が増加している」と証言している。「消費市場としての中国」重視、消費地に会わせた研究開発、製品開発の流れが、進出企業の間でも定着しつつあるということだ。
 ――――――――――
 上海の情報都市化の武器は何か。それは、ITと英語だろう。一年前に上海のホテルに宿泊したときには、私は電話線でやっとネットに繋いだ。それも、28.8kの遅い回線だった。しかし今年行ったら驚いた。ホテル全体にADSLか光(どちらか確認できなかったが、恐ろしく速かった)のネットワークシステムが組まれていて、各部屋にはその端子が使用時間制の料金表とともに机の上に出ていた。

 その端子を私のPCに直接入れ込んで(カードも要らない)、立ち上げ画面の支払いに関する一点承諾で、直ちにネットにつながった。上海でも一部のホテルだけかもしれないが、既に上海は「電話番号依存のネットワーク接続」の時代を通り抜けようとしつつある。東京の一部ホテルもそうだが、宿泊したホテルのIT担当者の知識が、日本の一流ホテルIT担当のそれを明らかに上回っていた。スターバックスに居た通信技術者という若いインド人が言う。「上海は凄く変わってきているでしょ」と。

 英語への注力も凄まじい。ほぼ完成しているリニアモーターカーの駅舎を取材していた時だ。我々を中学生中心のグループが逆取材しにきた。聞けば学校新聞の編集者達だという。何語で話しかけてきたかと思ったら、英語だった。それが実にうまかった。日本の中学生は、喋りであれだけの英語を操れないだろう。つい最近まで私の息子は中学生だったから、日本の普通の中学生の英語力はよく知っているつもりだ。

 聞けば、上海の子供達全員は7歳で英語を学び始め、14歳では毎日2時間以上の英語授業があるそうだ。聞いていると、喋りにかなり重点を置いた教育のようだ。今の上海の街では英語はほとんど通じない。しかし10年後に彼等が生産人口になった時は、中国語を喋らない日本人は、少ない中国語の通訳ではなく、英語の通訳を連れて行けば上海で用を足せるかもしれない、と本気で思った。英語も数学も勉強時間を削っているどこかの国は、この先どうなってしまうのだろう。
 ――――――――――
 人材の育成に熱心なら、技術の取り入れにも熱心だ。それも、どん欲なまでに。それは来年には実際に走り出すリニアモーターカーや公共交通機関全体に使われている乗降車の為のICカードに見ることが出来る。

 リニアは日本とドイツが開発にしのぎを削っていた技術だ。決して made in China ではない。しかし上海はそんなことにはかまわない。最初日本に打診があったが、日本はそれを断ったという噂を聞いたが、それではとドイツの技術に目を向けた。そして上海は「世界で最初のリニア実用線」を浦東空港と上海市街を結ぶ43キロに作ってしまった。駅舎はほぼ完成し、走路(電車で言えば線路)も繋がった。

 公共交通機関用の非接触型ICチップ・カードにも言える。起きているのは、「発展段階の中間省略」だ。上海の地下鉄には日本のパスネットに相当するカードがまだ使われていた。しかしこのカードは日本のカードと違って矢印のある一定の方向に入れなければ使えない。遅れている。

 しかし上海はそこから一気に、すべての交通機関に使える汎用のITチップ・カード「上海公共交通カード」に進んだ。私は地下鉄の駅で一枚買ったが、聞けばバス、地上の電車、タクシー、船などなど何にでも使えるのだそうだ。日本のスイカと同じように一枚のカードでお金を足していけば何回でも使える。この点では既に日本を凌駕している。日本で地下鉄とJRを乗りこなそうと思ったら、スイカとパスネットの二枚のカードが必要だ。

 中国では電話は地上電話が普及する前に携帯電話が普及したと言われる。携帯の方が設備投資が安く済むからだ。そして今や中国は、世界一の携帯保有者数(1億5000万台近く)を誇る。ステップがなくて、ホップ・ジャンプとくるから、変化が速い。ビルの建設も「国際入札」が主だ。恐らく世界最先端の技術が上海のビルの建設には使われている。

《 welcoming the changes 》

 人々はこれをどう思っているのだろうか。日本なら直ぐに、「開発優先の破壊」「都市の景観が損なわれる」と批判が出てくる。日本人の一員である私も、何回もこの質問を上海の人にぶつけてみた。しかし実に見事に彼の答えは、「今がいい」「これでいい」と一致していた。超高層マンションの下の汚い共同キッチン、共同シャワーに住む一家の主婦は、「隣にあんなのが出来てしゃくに障らないのか」と聞いたら、「いやここも開発が着手されれば、私たちももっと広い、一人一部屋の家に住めるから」と開発を待ち望んでいた。

 自ら「中の上」という上海交通大学(ここは江沢民が出たところとして有名)のある助教授は135平米もある立派なマンション(1000万で買ったと言っていた)のソファに座りながら、「あと300万円残っている借金を払ったら、上海の郊外に別荘が持ちたい。その次は二台目の車」と、平然と言っていた。娘さんの部屋も見せて貰ったが、ちょうどお嬢さんが英語の勉強中で、ノートにはずらっと英単語が並んでいた。助教授に「一人娘に何を望むか」と聞いたら、返事は「国際人」だった。

 朝の公園で女性主体のパラパラ(日本のそれが変形して取り入れられていた)踊りを見ていた数人の老人(男性)にも聞いたが、「上海はこれでいい。良くなっている」と。古いモノが壊されていくことへの郷愁は何もなかった。言わされているのだろうか。いや、とてもそうは思えない。

 その理由は、森ビルの竹内総経理と話をしていて解けた。彼は言う。「日本人が懐かしがる上海は、租界地のあった上海ですよ」と。これではっと気が付いた。日本人が歌や歴史で思い浮かべる上海とは、日本が英米仏などと「租界」を持って中国人を尻目に優雅で自由な生活をしていたころだ。

 中国人はその外国人の租界の自由な暮らしを、「壁の穴から羨ましく見るだけ」(同)だった。アヘン戦争(1840年?1842年)での敗北という屈辱を背負いながら。先進国による上海の植民地支配は第二次世界大戦まで続いた。彼等には「古き良き上海」などという思い出はない。大部分の上海人にとって、それは貧困と屈辱だった。だとしたら、突き進むしかないだろう。
 ――――――――――
 一体今の上海は、日本の発展段階から見ればどの程度の都市、市民生活なのだろうか。いつ頃の東京と同じだろうか。これは難しい問いで、正確な回答は無理だ。上海は先に紹介したようにある意味では東京の先を行き、ある意味では凄く遅れている。行けば直ぐ分かるが、日本の表参道かと見間違えるほどのブランド・ショップ街があると思えば、戦後直後の闇市のような街もある。とてつもなく格差が激しい。

 しかし、総じて言えば「80年代前半の日本の大都市と同じ生活レベル」との見方が強い。大部分の専門家がそう言う。物価に対する勤労者一人当たりの平均的な所得から見てである。まあそんなものかもしれない。

 しかし、これは専門家も認めているし筆者もそう思うのだが、例えば上位一割の市民の所得は相当高いのではないか。ある人が言っていた。年収が2000万円を超える所帯の数は、中国の方が日本に比べて遙かに多い、と。中国は共働きが多い。多いというより、それが原則である。そういう背景があるからだろう、「夕食は亭主が作る」という家庭が圧倒的だった。また公式統計には出てこないが、中国人のかなりの部分は第二、時には第三の職を持つとされる。男女とも。つまり、公式統計以上に中国人の所得は多いのである。それが上海の旺盛な消費の背景となる。

 上海に進出している日本の企業は口を揃えて、「最新のものを、時を置かずして提供しなければダメだ」と言う。それが中国でモノを売る、ビルを建てる基本の姿勢だと。つまり、「中国向けだからこの程度で良いだろう」という姿勢では、上海にしろ主要な中国の市場では競争できない、というのである。情報はネットで直ちに伝わる。日本で最新式のモノが出たら、もう上海の人は買わない。「最新のものを逡巡なく」というキーワードはここから来る。豊かさでも中国は日本に接近しているのだから、製品やサービスに対する要求レベルも同じだろう。

 疾走する上海だが、まだ「ストック」というと東京に遠く及ばない。高層ビルの数では東京の2倍あることは間違いないようだ。まず、上海では「高層ビル」の中に高層マンションも含まれる。日本の場合は、「高層ビル」と言ったらオフィス棟を指す。だから、上海は見た目よりもオフィスは少ないと言うことになる。

 それもあって、「実際にオフィスとして使える床面積を比較してみると、上海は東京の七分の一」と森ビルの関係者は言う。つまり、専門家の感覚から言えば、上海は「やっと使えるオフィス・ビルが出来てきた」ということだろう。古いビルはITが張り巡らされるオフィスには使えないということだ。ということは、上海はもっと高層ビルが建つと言うことだ。文中に入れた写真のようになる。

 昨年も書いたが、文化の集積、ノウハウの集積もこれからだろう。見ていると、例えば1960年代の10年も続いた文化大革命時に失われたものが多いのではないか、と思わせる。カクテルの作り方、料理の手法。ただし確実に戻ってきたものはある。それは、「笑顔」だ。これは先週書いた。別に日本の資本のレストランだけの現象ではない。中国のレストラン関係者にとっても、「いかに笑顔でお客を迎えるか」が大きなサバイバルのポイントになってきている。
 ――――――――――
 最後にまとめとして言えることは、「上海は中国にとっても、世界にとっても希有な実験都市」になっている、ということだろう。どこに向かって走っているかは分かっている。空港と市の中心部をリニアモーターカーのシャトルで結び、英語が通じる「国際的な情報都市」だ。多分、かなりいい線までいくだろう。しかし、その先を予想するのは難しい。体制の問題もある。貧富の格差がどう収斂するかも分からない。しかし、何から何まで飲み込みながら、この大都会は当分突進を続けるだろう。

 中国で急発展している都市は上海だけに限らない。一昨年行った大連は、自ら「北方香港」(北の香港)を目指して突進していた。なにせ地下道から何から、「北方香港を目指す」と書いてあるのだから徹底している。数こそすくないが、高層ビルもかなり出来ていた。半年で変わる中国の都市のことだから、2年もたった今はきっと大きく変貌していることだろう。すさまじい勢いで都市化が進む中国。

 オニール財務長官に言われるまでもなく、将来のそう遠くない時点で日本が「世界第二位の経済大国」の地位を中国に譲る日が来るだろう。何せ人口が違う。中国は国民一人当たりGDPが日本の十分の一でも、総額としてのGDPで日本を凌駕できる。そうなっても、日本は依然として中国より遙かに豊かな国だ。

 しかし規模は世界経済に対する発言力を大きく左右する。今から「日本より経済規模の大きい国=中国」との付き合い方を考えて置いた方が良い、というのが帰国の飛行機の中で考えたことだ。

《 have a nice week 》

 週末はいかがでしたか。土日と諏訪に帰っていましたが、日中は暖かくても、夜は相当に冷える。油断すると風邪を引きそうでした。山の上ではなく、里でも一部ではもう紅葉が始まっている。これから電車に乗ると、中央線沿線の山の色を見るのが楽しみになります。
 ――――――――――
 中国といえば、最初に北京に行った10数年前を思い出します。天安門広場を目の前にして、「これはでかい国だ」と思った。「他の国の誰かに言われたからと言って、この国は容易には動かない」と。その中国が、上海などの都市を中心に疾走を始めている、というのが印象です。統計を見ていたら、中国はもうすぐ4億人が都市に住む国になる。

 「上海は料理はどうでした」とよく聞かれる。行ったレストランがあまり良くなかったのか、思ったほどではなかった。上海に行っても、慎重にレストラン選びをしなければおいしいものにはぶち当たらないでしょう。むろん、高いお金を払えばおいしいモノはあるのでしょうが、私が好きなのはそこそこの値段でおいしいものです。まあ私の場合、「四川が好き」という事情はありますが。だから私には、重慶や成都の方においしいものがあるような気がする。それでは、皆様には良い一週間を。
ycaster 2002/10/10)



ALL RIGHTS ARE RESERVED.Copyright(c)1996〜2003 伊藤 洋一