<ただのお気楽、それとも犠牲者=2012年のギリシャ-Cyberchat>

 2012年の4月に長くない時間だが、ギリシャに足を運んだ。欧州と世界を危機に引き吊り込もうとしているこの国で、一体何が起きているのかを見たいと思ったからだ。その印象は結構強烈だった。

 まず、アテネとその周辺を回って強く印象に残ったのは次の5点。

  1. 凄まじい量の落書き
  2. これも凄い割合で存在する閉鎖した店舗
  3. にもかかわらずの移民の流入
  4. その一方での、国内での職の喪失による労働者の国外流出(ドイツ、イタリア、豪州などへ)
  5. しかし常に魅力としてある蒼い空と海、そして明るい太陽
 「5」は常にギリシャにとっての魅力ナンバーワンです。まだシーズン前なのに、観光客は多かった。ホテルの窓から見えたのでアクロポリスまで歩き、パンテノン神殿まで上がりました。息が切れましたが、紀元前何世紀かの遺跡がまだ残る街はなんと言っても魅力です。その壮大な石の創造物。何とかという山(名前を聞いたが忘れました)から全部運んだそうです。奴隷を使って。20キロを4日間で。

 その後タクシーを拾って「海を見たい」と言ったら、運転手が親切な人で何と半島の先にあるポセイドン神殿まで連れて行ってくれた。最初は風が強く曇っていたが、ドライブの最後には素晴らしく綺麗な空と海になった。街中が遺跡のようなものです。ギリシャには永遠の魅力があると思いました。

 これでは「夏は41度にもなる中で、ドイツ人のように一生懸命働かないよな」と勝手に思いました。果物も豊富、海の幸はマーケットに行ってもヨダレが出るほど良いものが多い。。野菜も豊富。冬の間は食べるものがないので、豚の血までソーセージにしていたドイツとは全く違う環境です。「観光」はこの先もギリシャ最大の産業でしょう。

のっけからデモに遭遇  落書きは酷い。それこそそこら中です。「キッズが」とタクシーの運転手が言っていた。「many years ago」からだそうだが、これを見ただけでとてもまともな街には見えない。閉鎖している商店の数も半端ではない。イースターを控えて店を休んでいるわけではなく、ギリシャの人達が皆「最近閉まった」「職を失った人が多い」というのだから、直近の、ここ1〜2年の話でしょう。

《 still rising unemployment 》

 それを示す統計が滞在中に読んだインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(ギリシャセクション)に載っていた。Hellenic Statistical Authority(ELSTAT)の発表として

  1. 今年1月のギリシャの失業率は21.8%で、これは昨年12月の21.2%からさらに上昇した。2011年1月の同国失業率は14.8%。2008年の同国の失業率は7.8%だったそうで、詰まるところギリシャの失業率は2008年からは3倍に、2010年からは2倍に上昇している

  2. 今年1月末までの1年間にギリシャで職を失った人は36万3369人で、つまりギリシャでは毎日1000人が職を失っていることになる。1月末でギリシャの失業者の総数は108万4668人に達した(ちなみに、ギリシャの人口は1100万)
 すさまじい統計が並ぶ。ギリシャの人達が例外なく「酷い景気だ」と憤るのには理由がある。中でも若者の失業率はいろいろな統計で50%を超えるとされる。台頭してきているのが極右だ。その名前を「黄金の夜明け」と言う。英語では 「Golden Dawn」。5月6日に行われる総選挙で得票率が3%を超えて議会で勢力を持ちそうだということで、俄然注目を浴びている。彼等が訴えるのが「移民排斥」だ。

閉じている店が非常に多いアテネ市  実際の所、アテネの街を歩いているとギリシャはアジア、欧州、北アフリカの接点だと分かる。実に多様な人種の人が居る。明らかにインド人っぽい人、北アフリカの人、色白な北欧系の人、そして浅黒いギリシャ系の人。欧州とアジアと北アフリカのクロスロードの国であり、実に多様な人々が流入している。

 今移民がやっている仕事をギリシャ人がやるかと言われれば、「そうではないだろう」と思う。イタリアでもそうだが、そこで生まれた人はかっこいい仕事をしたいし、それしか探さないのだ。しかし自分が失業しているのは、「移民のせいだ」と考える人も多い。フランスでも、極右はそういう人達には魅力の勢力だ。その一方で、イタリア、ドイツ、それに最近ではオーストラリアに出稼ぎに行くギリシャ人が増えているという。国内には仕事がないからだ。

 「ギリシャはクロスロード」と先に書いた。おそらくそれがギリシャをダメにした原因の一つだ。ギリシャはある意味恵まれていた。西側はギリシャを自らの仲間に入れて、このアジア臭のする国を防波堤にしようとした。だから、ギリシャにはいろいろな意味で援助が入った。色々な大国がギリシャに援助を与えて恩を売った。その度に援助が入ってきたし、最近ではギリシャはオリンピックもやった。EUの「援助」も入った。

 ギリシャ人の何人かに聞いたが、EU離脱は無論のこと、ユーロ離脱にも反対だと言う。その理由は、「ギリシャは彼等に支援してもらっている」「これといった産業がないから」というものだった。

《 corruption 》

 援助しているのはドイツでありIMFだ。しかしこの二つに対するギリシャの人々の怒りは強い。誰に聞いてもだ。「今のギリシャでの失業の急増はIMFと政治家のせいだ」と彼等は言う。確かにその側面はある。韓国でもそうだが、IMFが入るとその国は一時的であるかどうかに関係なく、失業率の大幅な上昇に見舞われる。ギリシャの場合はその程度が半端ではない。既に掲げた統計で見たとおりだ。

 誰がギリシャを「援助頼みの」「産業と言ったら観光しかない」国にしたのか。何人かの人と話したら例外なく「政治家が悪い」という。彼等が好んで使う言葉は「corruption」(汚職)だ。何十回となく出てくる。タクシーの運転手は、今走っているこの道路の建設にしても「政治家の懐にお金が入っている」と非難した。IMFの政策を導入したのも過去の政治家だ、と彼等は怒る。

 「でもその政治家を選んでいるのは国民だよね」と私が聞くと、「彼等は我々国民を政府の良い職に就けてやるとか、いろいろ誘うんだよ。それには勝てない」と。そう言えば、ギリシャは危機前は、働く国民に占める公務員の割合が非常に高い国だった。「そういうプロセスの中で公務員が増えたのか」と思った。結局政治家と国民はもたれあっていたのだ。援助がそのプロセスを長引かせた。しかし永遠に続くパーティーはない。夢はいつか醒める。その目覚めはあまりにも悪いし、悲しい。

 ギリシャの国民はドイツに対する憎しみにも似た感情を何回も表明した。そもそもギリシャは第二次世界大戦の際にドイツに占領されて酷い目に遭っている。EUやIMFのギリシャに対する厳しい融資条件の背景には「ドイツがいる」と彼等は考えている。自分達が起こした危機のおかげでユーロが安くなり、それがドイツの工業製品の輸出を助けていることも知っている。ドイツの輸出企業(ダイムラーやBMWなど)の業績は目を見張るばかりだ。ドイツの失業率はギリシャの半分以下。若者の失業率はギリシャの10分の1程度しかない。

 こんな状況でドイツやIMFが好きになれる筈がないのは確かだ。「じゃ、ユーロから離脱して独自の道を選ぶか」と聞くと、彼等は「それはダメだ」と言う。「戦争被害とかでギリシャは欧州の犠牲になっている。もっと返してもらわないと」と言うし、ユーロを離脱したら、ドイツ当たりからの借金が膨らんでしまう、とも言う。よくご存じなのだ。彼等は「ドイツの陰謀」のポイントとして、「産業を我々から奪った」と言う。「ギリシャは農業だって良かったのに、今はダメだ」と。

 5月6日の総選挙は大事だ。今までのEUなどとの取り決めを反故にするような政治勢力が台頭したら、また事態は紛糾する。その可能性がないわけではない。そうならなくても、ギリシャの先行きは暗い。若者の半分が失業し、商店が次々に仕舞い、観光以外にこれといった産業もなく、自国通貨安で観光客を大量に誘致できないギリシャ。税収を上げるシステムも整っていない。緊縮すればするほど経済が萎縮する危険性があるし、自殺も増加している。この国は、とてつもない危機の中にある。

《 our history is "big" 》

 最後に印象に残ったギリシャの人との会話を記しておく。この国を考えるのに非常に参考になると思うからだ。

 早朝にタクシーに乗った。英語がしゃべれそうで、ラッキーと思って会話を開始した。朝で、雲一つないアテネの朝は綺麗だった。陽が昇りかけ、雲がたなびいて、街の灯りが残っている。明るくなったのみ。靄がかかっている。

 少し会話が続いて、私が「ギリシャは長い歴史がありますよね」と言った瞬間だった。やや怪訝な顔をして運転手が、「いや、ギリシャの歴史は”big”だ」と言ったのだ。確かに紀元前の歴史は凄い。アクロポリスは驚嘆する。紀元前3000年の世界だ。そのころの日本はどういう時代だったのだろう。

 かつギリシャは、ヨーロッパ文明の起源とも言える文化を揺籃した。”big”というギリシャの人達が使った言葉に、この国の人々の矜持を強く感じると同時に、「自分の国の歴史を”big”という心理状態はどうなんだろう」「それが逆に重荷になっていないだろうか」と考えた。確かに大きな、重要な文明だが、今から5000年の前の話だ

 ギリシャのその後は苦難の時期が結構ある。確か1821年にそれまでの他国支配を脱して独立したが、第二次世界大戦の間はまずイタリアに、そしてドイツにも占領された。ギリシャ人のイタリアやドイツに対する感情は複雑だ。

 風光は明媚だが、ギリシャで何かを買おうという気にならない。買うな らやはりドイツだ。なぜそう思うのだろう。私の中の何かが「そうしろ」と言う。だから、フランクフルトの空港では買い物心が動く。ミュンヘンでもそうだった。

 でも、食べ物は圧倒的にギリシャが勝つ。大体食材が違う。ドイツの空港では「何かを食べよう」という気が起こらない。全てを満たしてくれる存在はない。ギリシャはまた行きたいな。あの空気と海と太陽、そして食事。人もいい。

 日本では「エーゲ海」というので気がつかないが、「AGEAN SEA」というと「ASIA」の発音と近くなる。ギリシャは、イギリスやドイツと比べると遙かにアジアの臭いがする。直ぐ右にはトルコがある。長い抗争の歴史だ。

 ギリシャ。どうにかなって欲しいが、今すぐどうにもならない気もする。しかし彼等が「BIG」と表現する偉大な歴史のあとも、そこに人々は住み、人種の入れ替わりはあったが、彼等は変わらずギリシャ人だった。今後もそうだろう。

 LIFE GOES ON.........。


2012年04月14日(土曜日)

 (00:25)ミュンヘンを経て午後11時30分ごろ(ギリシャ時間)にアテネの空港に到着。もう遅いしタクシーを捕まえてそのまま静かにホテルまでと思ったら、そうはいかなかった。

 ヤニと名乗る運転手が私を観察していたと思ったら、しばらくして「ビジネスか?」と聞いてきた。聞かれたら答えなければならない。適当に「そう」と言ったら、確か「WE NEED A BUSINESS, RIGHT?」と同意を求めてきた。

 「そりゃそうだ」ということで、ホテルに着くまで30分以上ずっと話をしていた。彼は言う。何が今のギリシャを悪くしたかと言って「政治家」と「IMF」だ、と。IMFがなぜ悪いのか。「緊縮策を強要する」「我々の賃金はずっと下がっているのに、生活費は全く下がっていない」「こんなことになったのはIMFの責任だ」と。

 次に彼がやり玉に挙げたのは「政治家」。彼は「corruption」(汚職)という言葉を十何回使って、この国が以下に腐敗しているかを説明し、道路の建設にしても「政治家の懐にお金が入っている」と非難した。IMFの政策を導入したのも過去の政治家だ、と。

 「でもその政治家を選んでいるのは国民だよね」と私が聞くと、「彼等は我々国民を政府の良い職に就けてやるとか、いろいろ誘うんだよ。それには勝てない」と彼。矛先はIMFを超えて、特に「ドイツの陰謀」に力点が置かれて、「彼等は産業を我々から奪った」と仰る。「ギリシャは農業だって良かったのに、今はダメだ」と。

 「じゃ、ユーロから離脱して独自の道を選ぶ」と聞いたら、「それはダメだ」と彼。戦争被害とかギリシャは欧州の犠牲になっている。もっと返してもらわないと、とも。離脱したら、ドイツ当たりからの借金が膨らんでしまう、とも。よくご存じだ。

 「ギリシャの政治はいくつかの家族によって支配されているんだって」と私。彼は、「そうだよ」と。「じゃ、それから抜け出る方法はないの」と聞いたら、今50才くらいの政治家でなんと言ったか、「一人いる」と彼は言う。ついでに、「黄金の夜明け」(英語で Golden Dawn、極右政党)が次の選挙で3%を超えて議会勢力を持ちそうだが」と聞いたら、「私は彼等に賛同できない」と。極端過ぎる、と仰る。

 まあいろいろ話したが、内容はエコノミストを首相に頂く国の国民らしく、蕩々と持論を述べる。それは素晴らしい。しかし、とってもおかしいと気付いたことが二つあった。

  1. 客である私を乗せて走行中に、やたらにケイタイを気にする。写真が待ち受けにあって(その番号専用か)、「これは娘だ」と彼の説明。10才で年の離れたお姉ちゃんとお兄ちゃんがいる。そえはいい。しかし、「ケイタイは電池が切れた」とか言いながら、車のハンドルから手を外して一生懸命充電作業を行おうとする。その間車は右に傾いたり、左に行こうとしたり。こっちは気が気ではない。(日本の運転手は絶対やらない)それにケイタイの写真は10才の娘には見えなかった

  2. ホテルに着いて、深夜だったしいろいろ話をしてくれたのでチップを含めて多めに渡したら、「その金額で領収書を出す」と言う。「いやいや正規の運賃の領収書でいいから」と言っても、聞かない。しかしそれがちっとも出せない。ホテルのボーイもあきれている。あまり時間がかかるので、「もういいよ」と言ったら、悲しそうな顔をした。結局領収書は一枚ももらわなかった
 うーん、共に本気にして良いのかどうか。まずは入りにしては面白い経験だった。ホテルに着いたのは深夜を過ぎていた。それにしても金曜日の夜にしては静かだった。最後に「5月6日の総選挙は」と聞いたときの彼の返事を思い出した。彼は「wait and see」といやに慎重に言った。


2012年04月14日(土曜日)

 (15:25)もしかしたら、正月を控えた年末の日本の、特にアメ横のような所に来ているかも知れないな、と思いました。

 とにかく、アテネの旧市街にあるマーケットが凄い人出なのです。肉、魚、野菜、フリーマーケットと比較的分かれているのですが、その肉売り場が並んでいる筋の人の凄いこと。「イースターにはみんなラムを食べる」ということで、そのイースターは15日日曜日なのです。写真を見て頂いても、その熱気が分かると思います。

イースターを控えてラムなどの肉を買う人の波  ラムを食べるには、ジャガイモなど野菜も必要。だから、肉が一番だがその他も凄い買い物客の列なのです。子羊の足一本を白い布でくるんで運ぶ人も多い。その周辺の道路は警察官も出て交通整理。車は大渋滞。正月だと思ったのは、14日の深夜に皆教会でミサを行うと。日本は神社・仏閣にお参りです。

 凄まじい人出を体験したあと、旧市街のマーケットの近くの店でピタとビールを頼んで一時間ほどずっと街の様子や、人々の表情を見ていました。その街に馴染むのは、街に一定時間以上たたずむのが一番良い。

 実に多様な人種の人が居る。明らかにインド人っぽい人、北アフリカの人、色白な北欧系の人、そして浅黒いギリシャ系の人。欧州とアジアとアフリカのクロスロードの国なのだな、と思う。右だか左だが知らないが、大きな拡声器で旗を振りながら7人ほどが街宣をしている。何を言っているのか。ギリシャ人に聞いても、「わからん」と。

 たたずんで街を見ながら、今のギリシャとはどういう国か、アテネから何が見えるかを考えていました。思い浮かんだのは

  1. 凄まじい量の落書き
  2. これも凄い割合である閉鎖した店舗
  3. にも関わらずの移民の流入
  4. その一方での、国内での職の喪失による労働者の国外流出(ドイツ、イタリア、豪州など)
  5. しかし常に魅力としてある蒼い空と海、そして明るい太陽
 という感じです。「5」は常にギリシャにとっての魅力ナンバーワンです。まだシーズン前なのに、観光客は多かった。

 ホテルの部屋から見えたので、アクロポリスまで歩きました。パンテノン神殿まで上がった。息が切れました。しかし紀元前何世紀かの遺跡がまだ残る街はなんと言っても魅力です。その壮大な石の創造物。何とかという山から全部運んだそうです。奴隷を使って。20キロを4日間で。

 その後タクシーを拾って「海を見たい」と言ったら、運転手が親切な人で何とポセイドン神殿まで、途中水源の分からない泉などを見ながら連れて行ってくれた。値段を決めてですが。最初は風が強く曇っていたが、ドライブの最後には素晴らしく綺麗な空と海になった。ギリシャは魅力がある。

 これでは「夏は41度にもなる中で、ドイツ人のように一生懸命働かないよな」と勝手に思いました。果物も豊富、海の幸はマーケットに行ってもよだれが出るほど良いものがある。野菜も豊富。冬の間は食べるものがないので、豚の血までソーセージにしていたドイツ人とは違う環境です。

どこにも落書きがある。70年代のニューヨークのようだ  しかしそのギリシャと比べた場合の逆境がドイツを強くした。冬の長いドイツでは、我慢強く何かを作って春を待つしかなかった。美味しいものは食べていないが、彼等が作るものは素晴らしい。

 ギリシャは東西やアジアと欧州の接点という意味でもある意味恵まれていた。西側はギリシャを自らの仲間に入れて、このアジア臭のする国を防波堤にしようとした。それは東西の関係でも同じです。

 だから、ギリシャにはいろいろな意味で援助が入った。ギリシャ人の何人かに聞いたが、EU離脱は無論のこと、ユーロ離脱にも反対だと言う人が多かった。その理由は、「ギリシャは彼等に支援してもらっている」「これといった産業がないから」というものだった。

ポセイドン神殿を背に一枚  ではギリシャの苦境の打開の道はあるのか。夕べのタクシーの運転手と同じように、ギリシャ人は「wait and see」のような。しかしむしろそれを決めるのはドイツ人のような気もする。なぜなら、安いユーロで一番潤っているのはドイツ人であり、これかもギリシャの危機的な財政をある意味支えられるのは、ドイツだけだろうからだ。

 ギリシャの海岸は限りなく綺麗だ。ヨットが並び、瀟洒の住宅街もある。そういう意味では、物価も安いし暮らすのには良いかも知れない。しかし職を探せない庶民は気の毒だ。「職さえあれば、家が建てられる国」(タクシー運転手)のだそうだが、その職が今のギリシャにはない。


2012年04月15日(日曜日)

 (00:25)その手の知識が全く無かったのでちょっと調べたら、今年は西方教会と東方教会ではイースターの日にちが違うのですね。西方教会では4月8日、東方教会では4月15日。

人影が消えたマーケット  それは置くとして、ギリシャ(広く欧州でしょうが)のイースターの前日は日本では「正月を控えた年末」と昨日書きましたが、夕方もう一度旧市街を探索しようとして、その実感を強くしました。午後の6時くらいでしたが、ほぼ全ての商店が店じまい。最初から閉まっていた店に加えて、昼間は空いていた商店も全部。

 大勢の人でごった返していた旧市街のマーケットもご覧の通り。人影は少ない。片付けのごく少数の人だけが働いている。床が肉を扱った後だからなのか、革靴では滑る。そうなんですよ。日本の晦日と同じ。昼間に来ていて良かったと思いました。

 でも違う点もある。夕方から夜10時ぐらいまで寝ていたので、「メシでも」と思ったのですが、普通では面白くない。聞いたらホテルのレストランは今日は午前2時までやっているという。きっと教会でお祈りをしてきた人達が来るのでしょう。

 で私は、零時前に行って、市場で見ていて食べたかったので「ラムはありますか」と聞いたら、「今日はビュッフェ形式で、その中には当然ラムもあります」というので、45ユーロだそうだし、軽く食事をすることにしました。その段階では、広いレストランはガラガラ。

左にあるのがイースターエッグ、右が年に一度のMAGIRITSOスープ  いろいろ普段ではないメニューというのもありました。「一年で今日この日にしか作らない」とレストランの人が説明してくれたのがスープです。「Magiritso」と書いてある。多分鶏肉が切り刻んであって、あとはポテトスープの素材にいろいろ入っているのです。塩辛いが美味しい。

夜に浮かぶアクロポリスとパンテノン神殿  ラムもそうですが、このスープも「一年で一度しか食べられないものが食べれるのはラッキー」と。ふとテーブルの上を見ると、赤い卵形の.....。「あ、これがイースターエッグか」と。可愛いウサギさんに抱かれている。

 ははは、このホテルのエッグは何で出来ているか知らないが、「これはお土産だな」と。ラムは日本で食べるものより、ちょっと塩辛い。でもマスタードを付けるとちょうど良くなる。

 零時20分過ぎでしょうか。人がどんどん入ってくる。きっと教会でのお祈りを終えた人達が、主に家族で来ているのでしょう。しかし子供はいない。「子供はどうしているのだろう」と思いました。

 このレストランは今日は午前2時まで。私は明日が比較的早いので、その頃にはお休みだな、と思いながらレストランの皆さんにお別れしました。
ycaster 2012/04/30)



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