<ベトナム2008、その魅力と危うさ-Cyberchat>

 2008年の6月7日から約10日間、ベトナムを再訪した。前回1999年はプライベートな短い旅だったが、今回はNHKBSの主力番組の一つ「地球特派員」の取材者としての訪問で、カメラさん、音声さん、ディレクター、それに現地コーディネーターの総勢5人というチームで訪れた。番組は7月19日の午後10時10分からNHKBS1で放送された。再放送の予定は、

  BS1 7月27日(日)  15:10〜16:00
 BShi 8月 3日(月)  17:00〜17:50

 番組のタイトル「激変 ベトナム最前線」で分かる通り、訪問の目的は今のベトナムで、特に海外の投資を受けている製造業の部門で一体何が起きているか、である。そもそもの番組の発想は、「世界の工場」が中国に加えてベトナムにも大規模に出来つつある、その背景には何があるのか、今後どうなるのかというものだった。

NHKの番宣から  世界の工場を一手に引き受けてきた中国では、人件費の高騰、権利意識の高揚から来る労働争議の増加、それに労働者雇用に関する中国政府の厳格化(労働契約法による労働者保護政策)、それに輸出に対する優遇措置の一部撤廃などが進行している。加えての人民元高。中国からの輸出には厳しい状況が増えている。

 その結果、台湾、香港、韓国系の進出企業の中には、中国から夜逃げするケースも出てきている。つまり、中国に進出した企業には材料費や人件費の高騰、資金繰りの悪化などが襲いかかってきていて、会社精算にも時間と費用がかかるため手っ取り早く「何もかも捨てて消える」ケースが出ているのである。その一方で中国政府は、自国内工場の「労働集約型」から「ハイテク、知識集約型」への転換を狙っていると言われる。

 生産基地としては悪条件が増えた中国。しかし13億の民を抱え、豊かな消費者が増えてきたこの巨大な国を見捨てるわけにもいかない。そこで出てきたのが、「China +1」(チャイナ・プラス・ワン)の考え方だ。つまり中国とは別に成長するアジアで「生産基地」を持とうとする世界の企業の動き。その実体を見に行ったのだ。強く印象に残ったポイントは以下の通り。

  1. ホーチミンでもハノイでも、まるで国土を切り売りするかのように出来つつある巨大な海外企業向けの工場団地。一企業の単独進出の形もあれば、集団団地のケースもあるが、次々に出来上がりつつある工場団地を見ていると、まさにベトナムが中国に並ぶ「世界の工場」になりつつあるように見える

  2. その中にあって、進出規模の大きさと、意志決定のスピードの速さが目立っているのが台湾企業だ。台湾は人口(若年の安い労働者の減少)と土地(工場適地の減少)の制約から中国進出でも先頭を切ったが、今はその海外進出の矛先をもっぱらベトナムに向けている印象。ここには将来ベトナムも加盟するASEANが巨大な自由貿易地域になる、という思惑もある

  3. 「China +1」的にベトナム進出を進めているのは、台湾に加えて韓国、それに日本など。日本企業はハノイ周辺が今のところ多く、ベトナム政府も必要土地の手配など各種の優遇措置を用意してこうしたアジア企業の投資を歓迎している。ベトナムは台湾、韓国、日本の各企業から「相性がいい」「親和性が高い」とそろって言われる不思議な国である

  4. ベトナムは製造業では「世界の工場」状態になってきているが、非製造業もその成長チャンスを求めている。インドが英語圏にとってのソフトウエアハウスになっている現状に鑑み、ベトナムは特に日本向けのソフトウエア基地になることを狙い、実際に日本語教育を含めたソフトウエア教育にもかなり力を入れている

  5. しかし、ベトナムが置かれた環境は厳しい。「第二のタイ」との噂も絶えない。この場合のタイとは、アジア通貨危機の引き金を引いた1997年のタイだ。インフレ率は5月に25%、6月に27%弱になった。よって、労働賃金を巡る争議が急激に増加した。平均して1万に満たない賃金では、この高率インフレでは直ぐに暮らしていけなくなるからだ。進出企業の間で、激しい労働者の移動、人材獲得競争が起きており、ストに見舞われる企業も増えている。このまま進出企業が増えたら「どうなるのだろう」とも思える

  6. 市場経済への参入が遅れ(ドイモイ政策がベトナム経済を変え始めたのは90年代の半ばである)、市場との対話がまだうまくなく、また中国にとっての華僑、インドにとっての印僑のような情報源としての越僑がいるのに、彼等の知恵が生きているとも思えない。ベトナムの政府は荒々しい市場との対話に苦労している印象だった。これがまたベトナム経済が抱えるインフレの深刻化、インフラ不足、環境の著しい悪化などを招来している
 ベトナムは「小柄な人達の国」である。平均値を調べたわけではないが、日本人より恐らく平均身長は4センチは低い。今回の取材では若い人に大勢会ったが、170センチ弱の私より大きな人は殆ど居なかった。女性は「小さい」と感じる人が多い。加えてベトナムの人は、おしなべて痩躯である。

 加えてベトナムの人は総じておとなしく感じる。一見するところ荒々しくないのだ。街で喧嘩も見掛けなかった。バイクも山ほど見たが、暴走族まがいの集団を見掛けたこともない。多くのケースにおいて彼等はニコニコしている。街はまだかなり猥雑な面も残っているが、歩い危険を感じることもない。

今回のチーム。加えてコーディネーター兼通訳のハンさん。ホーオジさんの前で  ベトナムの人々の間には、儒教の伝統が強く残っている。給料は日本の我々からすると驚くほど安いが、そこからきちんと田舎の両親にかなりのパーセンテージを仕送りをしている。「今まで育ててもらったから」と彼等は言う。

 普段は仲のあまり良くない中国や台湾、韓国、それに日本の企業関係者がそろいもそろって「ベトナムでは仕事がうまく出来る。彼等は非常に従順で自分達と相性がよい」と揃って言うのは、こうしたいろいろな要素の重なり合いの結果だろう。99年にベトナムに行った時も弟が、「ベトナムは仕事がしやすい」と言っていた。

 しかしこういう声もある。「危険信号の察知が難しい」。進出しているテルモ幹部の話である。この幹部は中国での工場管理の経験もあるが、中国の場合は危険信号の察知が容易だというのだ。労働者は「ここがおかしい」「もっと給料を上げてくれ」と直ぐに言ってくる。対応するにしても、放置するにしても労働者が何を不満の種にしているのか刻々と分かる。

 しかしベトナムでは不平・不満が伝わってこない。鬱積する。ベトナムの人達が面と向かって不満を言うことが少ないからだ。努力して危険察知を試みているが、今のベトナムの労働環境の厳しさから言って、「いつ何が起きてもおかしくない」と覚悟している、というのだ。全社ストかも知れないし、集団離脱かも知れない。実際にそう言う話はベトナム進出企業(国を問わず)の間ではインフレが厳しくなった2008年に入って頻発している。

 話を本題に戻す。日本、韓国、そして時には中国本土の企業がベトナム進出を急ぐ中で、度肝を抜かれたのは台湾企業の動きだ。取材した具体的対象としては、ipod、プレステ、PSP、Wii、ニンテンドーDS、モトローラとノキアのケイタイ電話、シスコのルーター、DellやHPのパソコンを作っているホンハイ(鴻海、世界最大のEMS=Electronics Manufacturing Service企業)や、PCの受託生産では世界第二位のコンパル(仁宝電脳、Compal Electoronics)などだ。

 とにかく彼等の進出の規模がどでかく、かつ包括的で、しかもその動きが速いのだ。コンパルが建設を開始したばかりのハノイ近郊の単独工場用地を実際にこの目で見たが、気も遠くなるほど大きかった。「ここで毎月130万台のPCを作ることになる」と社長。PCにはそれぞれブランド(我々が知っているような)があるが、要するにいつかは「皆ベトナム製」という日も近いのか。かつ彼等は将来には「この工場に働く人々のための大団地」の建設も進めている。マネッジャーの棟、ワーカーの棟など10数棟が並び、将来的にはスポーツ施設も併設して「8万人を収容」する、と。つまり一つの街を作ろうとしているのだ。

 しかも驚く事なかれ。台湾の企業はお互いに競うようにこの規模かもっと大きな規模でハノイやホーチミンの周辺に進出を検討しているのである。いくらベトナム(今は8500万人強)が「近い将来に日本を抜く人口大国」になるにしても、また国民の平均年齢が30才と若いにしても、「働く人がそんなにどこから湧いて出てくるのだろう」と思ってしまう。実際には、ベトナムの農村は疲弊し、働き手を送り出さざるを得ない現状がある。それがどれだけ続くのかだ。

 それだけ壮大な計画を立てながら彼等は、「ITの世界の環境変化は激しい。この工場と団地が例えば20年後にどうなっているかは分からない」(コンパル関係者)と平気で言う。つまりそれまでに投資回収を終える意向なのだ。素早く大規模に動き、そして場合によっては素早く撤退する。良い悪いの問題ではない。日本の企業にはない経営スタイル。韓国企業は日本と台湾の中間か。

 進出海外企業にとってのベトナムの魅力。

  1. 若い、物覚えの早い、比較的従順な、そして安くて豊富な労働力
  2. 安定した政治状況と、社会の安定
  3. 進出企業の土地利用における便宜供与、税制的優遇措置
  4. ラオス、ミャンマーなどとは比べものにならないほどに整備されたインフラ
 などだろうか。インタビューした多くの人は、「ベトナムの人達は賢い」という。私はそこまでベトナムの人と付き合ってないから分からないが、皆そう言うのだからそうなのだろう。ベトナムは戦後だけでもアメリカと戦い、そして中国とも戦った。アメリカとの戦争では勝ち、中国との戦争でも中国軍に手痛い打撃を与えた。小柄で荒々しくないから「くみやすし」と見えるが、芯は強いのだろう。まして、臆病でも、軟弱でもない。間違いなく賢い。それが普段は出てこないだけだ。

 教育レベルも高い。全くの私の印象だが、私が取材の中で会ったベトナムの大学生の英語のレベルは、確実に日本の大学生のそれより上であった。民間が作ったFPT大学に行ったが、私が英語で話しかけても誰もきょとんとしていなかった。インドもそうだったが、シンガポールほどではないにしても、ベトナムは東南アジアで一番英語が通じる国になるかもしれない。それでも、「英語圏をインドが支配している今、我々は日本市場を狙う」と公言して日本語教育にも力を入れる。

 日本、韓国、台湾の企業の海外進出先として、中国の後にはベトナムが控えていた。「ではPost-Veitnamは」と尋ねながら回っていた。しかし多くの関係者は、当面は「ベトナム止まり」と言っていた。ラオス、ミャンマーはあまりにもインフラ、社会の安定度で問題があるとの意見が多い。そうなのだろう。

 しかしそのベトナムの抱える問題は多い。一つは政府が市場経済に不慣れなこと。政府の役人の話も聞いていたが、自国の抱えている問題は分かっているが、インフレ問題にしろ「ではどうしたら良いのか」という知恵、政策選択の意志に欠けているように思えた。越僑は送金は凄まじいが、彼等の知恵がベトナム政府の経済政策に生きているとも見えない。

 そうした中でのインフレ、労働争議の増加、電力不足、インフラ不備など。国民の大部分はまだ酷く貧しい。特に農村地帯の貧しさは私は目にしなかったが、ベトナムの新聞にも毎日のように紹介されていた。ベトナムに進出した海外企業の工場で働く労働者の月平均賃金は少ない方だと6000円、良くても1万円を超えるくらい。それでも農村からは続々と若者が都市に、工場団地に働きに来る。そうした人々にとって、食料品高、ガソリン高でひとたまりもない。不満な人は増えている。それでも「反政府運動」と言えるような主張や運動は目にしなかった。ベトナムの人は皆、ホー叔父さんを尊敬しているが故か。

 「ベトナムは第二のタイになる」はこの原稿を書いている限りまだ生じていない。そうかもしれないし、そうでないかも知れない。どちらにしても、10年後のベトナムはまた大きく変わっているだろう。1999年には全く存在しなかったドンの硬貨が「2年ほど前から」(ハノイのデパートの店員)出てきていた。今私の手元にある硬貨は、「5000」と「200」。一方最高紙幣は「500000」。1999年の時のベトナムの最高紙幣は「50000」だった。

 今から10年後、つまり2018年にベトナムに行ったら最高紙幣は「100万」なのか、それとも「5万」なのか。政府は民主的政府なのか、それとも相変わらず共産党の独裁なのか。それは時間が実際に立ってみないと分からない。しかしベトナムは、経済的には確実に豊かになっている気がする。何よりも働く人々の数が多い。人口はインドのように綺麗に下が富士山型に膨らんでいる。

 今回の取材で非常に残念だったことがあります。それは都市しか回らなかった、ということです。ホーチミンを4日、そしてハノイは5日。特にハノイに関しては私は9年前に行っているので、「時系列から見た変化」「縦の変化」を見ることが出来た。しかし、2006のインド取材がそうだったのですが、当該国であって都市とは全く発展の様相を違える農村という存在も大きくある。そこの方が人口は多い。

 今回の取材では、今は都市で働く多くのベトナムの農村出身の青年や若い女性に会いました。彼等、彼女らは、6000円とか8000円のお金で毎月働き、その中からかなりの部分を農村の両親に送っている。美しい話ですが、それはまたそれだけ農村の生活が厳しいことの証拠でもある。

 彼等、彼女らは驚くほど悲惨な状況で都市に住んでいる。それはそうでしょう。もともと少ない所得のかなりの部分を田舎の両親に送っているのだから、都市での生活は苦しい。タタミ二畳もないような部屋で2人、4人と生活している現状を見ると、悲惨だとも思う。番組に出てきたタインさんの部屋には、私は言葉を失いました。板を張っただけの部屋なのです。

 私が滞在している短い間でもベトナムの農村の悲惨な状態が新聞で何回も報じられていました。農村には中部で進む砂漠化の話もあった。若い壮健な若者達が都会に少額(日本人から見たら)の収入を目指して大量に移動してくる。

 「あんな状態で若者を使うのはどうか」という意見が出てきそうな気がする。実際にそういう事を言う人がいた。しかし、進出した日本や台湾、それに韓国の企業がベトナムの人口の6割を超える30以下の人達に職を与えていることは確かだし、それが魅力的だから彼等も働きに来ることは明らかである。

 こうした中から発展へのきっかけが、技術の移転が出来るような気がする。それにベトナムでも労働賃金は確実に上がるだろう。彼等の生活も徐々に良くなる。私はだから日本を含め外国企業のベトナム進出には受け入れサイドにとってもメリットがあるし、ベトナム政府もだからこそそれを歓迎しているのだと思いました。しかし、その農村も見てみたかった。

 時間の都合で番組では紹介できていないのですが、その一方でベトナムでは豊かな中産階級が生まれているのも確かなのです。ホーチミン市のスーパーで私が声を掛けて、そのまま家に連れて行ってもらったベトナム人一家の家は、まるで日本の大都市マンション住民のそれに等しいものでした。

 たまたまロンドン留学中の一人息子の大学生が実家に帰ってきていて、父親、母親、それに息子の3人にインタビューしたのですが、そこにあったのは「豊かなベトナム」でした。スーパーで買い物をし、車で移動し、エレベーター付きの高層マンションに住み、100u以上のマンションに3人でゆったり住み、家電を整え、趣味も充実。農村とは全く隔絶した社会としてベトナムに生まれつつある中産階級。そのギャップもまたベトナムが抱える可能性とリスクの象徴です。

 ベトナムを見る最後の重要な視点は、ベトナムが今後世界でも高成長が期待される東南アジアにあって

  1. 長い海岸線を持つ非常に有利な場所に存在すること
  2. あの地域の国々の中にあって、一番政治が安定していて、ミャンマーやカンボジアに比べてインフラが相対的に整っていること
  3. ベトナムに拠点を置いておけば、アジア太平洋州地域で発効が続いているFTAやEPA取り決めの要の地域に拠点を置くことになり、この地域の貿易にとって非常に有利である
 といった点だ。IMFも世界銀行も、「他の地域に比べた場合のアジアの成長可能性」を高く評価している。その真ん中に生まれようとしているのがFTAやEPAを法的根拠とする自由貿易地域である。主要な貿易製品に関して関税が段階的に引き下げられていくのだ。この巨大な自由貿易地域に生産拠点を持つのかどうかは、この地域をビジネスの対象とする企業にとっては非常に重要なことだ。例えば台湾企業のように国内の制約が多い企業、国際政治の分野でいろいろな困難を抱えている企業は、ASEANへの進出が「must」なところもある。

 東南アジアには、中国からタイやミャンマーなど半島の南に通じる回廊、それに東西に延びる回廊などが存在し、それがこの地域の経済発展を先導していることは、今回の取材とスタジオ討論の中で初めて知った。これは収穫だった。私が実際に行ったベトナムと中国の国境であるランソンには、将来は中越貿易の大きなパワーになるであろうトンネルが二つも出来ていた。今はまだ中国から来たトラックが、またはベトナム側のトラックがそのまま相手国に入ることは出来ない。荷物の積み替えが必要である。

 しかしこれがEUのようにトラックの乗り入れの形が出来れば、広州、南寧からランソンを経てハノイに繋がる大きな交通路が出来上がる。これはこの地域の経済に大きな刺激になるだろう。ベトナムはこうしたASEAN地域経済の観点からも注目する必要がある国だ。

 以下は2008年6月のday by day と1999年のハノイ数日滞在の記の再録である。


2008年06月07日(土曜日)

 (13:59)チート勉強しようと思って、フライト中にベトナムの英字紙を持ってきてもらって読み始めたら、まず「Stocks meltdown continues,VN-index slips further」という記事。メルトダウン(溶解)とは凄い。一瞬、5月の雇用統計の悪化を受けた金曜日のニューヨーク株価の3%近い下落の話しかと思ったら、ベトナムの株価の話題でした。

 こんなに下げ続けているとは知らなかった。年初来の株価の動きがVN指数で示されているのですが、ほぼ一貫して下げ続けている。年初の高値が921.07で、この6日付けの新聞に安値と記されている数字が390.08とあって、「これで21日間連続の下げ」とも記述されている。

 去年の今頃ですかね。「ベトナム株は有望」と言っていた人もいたな。まあ当時の資金が今はまだ去りつつあるのでしょう。皆が見限ったときは「人の逆を行く」が成立すると思うのですが、まだそこまで行っていない。

 商いが薄い、つまりilliquid なので機関投資家が売ると誰も買えないうちに株価が下がる。「ここで買わなければ後悔する」という見方はあるが、まだ有力な買い手の登場は期待できない状況.....と書いてある。

 ありゃ、と思いました。「自分がベトナムに行くときはいつも景気が良くないときだな」と。99年11月に行ったときは、97年のタイのバーツ危機を発端とするアジア通貨危機の後遺症で、ハノイも景気が悪かった。

 確か市内に日航ホテルだったと思ったのですがあって(今もあるかどうかは知りません)、とにかくそのホテルに人は少なかった。弟一家と最後の夜はそこで食事をしたと思ったのですが、「夜はビル全体が暗くてあまりにも恥ずかしいので、ホテルの従業員が順番に部屋の明かりを付けて回っている」という冗談を弟の嫁さんから聞いたような。

 今どうしてそのような状態になっているか、は向こう9日間の楽しみです。

 ベトナムは依然として中国と同じ社会主義国。「土地はどうなっているのだろう」と思っていたら、格好の解説記事があって、

  1. ベトナムの土地は人民のものであり、政府の排他的な管理・監督の対象になる
  2. 個人、および組織による土地の所有は許されない
  3. しかしながら、個人、および組織は「土地使用権(land use right)」を得ることが出来る
  4. この「土地使用権」は、国家による割り当て(allocation)か、または国家、さらには現行の土地使用者のアサインによるリース契約によって合法的に手に入れることが出来る
  5. 土地に付帯する建物やその他の資産に関しては、所有が許される
  6. ベトナムの国内組織、ベトナム国民、または海外在留のベトナム市民は、商用、非商用を問わずに土地の割り当てを受けるのかリースするのかを選択できるし、後日リース契約を割り当てに変換することも出来る
  7. 100%の海外資本企業は、ベトナムにおける投資プロジェクトを実行する上で出来るのは、土地のリースだけである
 このシステムだと、国家の力が強くなりすぎますな。86年のドイモイ以来、ベトナムでは貧富の格差、役人の汚職などなどが起きているということですが、そりゃ起きるでしょう。「強すぎる政府」は中国で最大の問題ですが、ベトナムも同じような問題を抱えていそう。

 中国の場合も土地の使用権は期間が非常に重要なのですが、ここにもいろいろな規則が書いてある。まあ言えるのは自国民優先という姿勢ですが、50年なり70年の期間が来ても「国家は延長することが可能」と書いてあって、まあ中国と同じようなシステムです。「そんな先のことは誰も考えない」という。

 土地の私有が認められないということは、市場経済を取り入れていてもその形は日本やアメリカ、ヨーロッパとはかなり変わってくる。その辺もベトナムの発展ぶりと一緒に見たい。

 どの程度の国民所得の国かと調べたら、一人当たりGDPが外務省のサイトで809米ドル(2007年 IMF推定値)とある。うろ覚えだがインド程度ということか。中国よりは低い。中国は既に1000ドルを超えていて、小康社会は3000ドルが狙いだと聞いた。

 まあなんだかんだ言っても、「seeing is believing」です。久しぶりのベトナムは楽しみです。


2008年06月07日(土曜日)

 (23:59)予定通り5時間30分ちょっとのフライトでホーチミンの空港に到着。午後2時半ぐらいでしたかね。凄い夕立の中。飛行機の中から稲妻がはっきり見えましたし、空港に降り立っても凄い雨。

 それにしても、あんなに空いていた飛行機は実に久しぶりでした。燃料代の高騰が原因でしょうか。おかげでゆったり。JALとベトナム航空の共同運航便というやつで、ちょっと古い機体でしたが、まあ快適。

 ホーチミンの空港は99年の記憶とはかなり違って綺麗になっていました。詳しい印象などは7月の放送(NHKBS1)に映像とともに出すので、先だって詳しく出すことはしません。しかし簡単な印象だけ言うと、空港は建て直したんでしょうね。綺麗になっていた。ハノイの空港がどうなっているのか楽しみ。

 それにしても暑い。33度。空港でチームと落ち合って、そのまま市内に。ホーチミンの市内を走るのは初めてですが、99年に来てハノイに数日居たときに比べた時のベトナムの変化には直ぐに気が付く。

  1. 相変わらずバイクが多いが、四輪自動車も増えていること
  2. バイクに乗っている人が全員ヘルメットをしていること
  3. 自転車に乗っている人が著しく減少したこと
  4. 圧倒的に日本と比べて若者が多いこと
 ヘルメットは少し前に義務化されたのだそうです。日本の昨年の交通事故死は6000人を割ったのですが、人口8000万ちょっとのベトナムの年間交通事故死は、どうやら1万人を超えているらしい。そこでヘルメットの義務化が実施された。

土曜日の夜のホーチミン市で見かけた結婚式。なかなか華やかだった。  今後展開する取材ではいろいろな狙いがあるのですが、私的には今年の春に買ったドコモの705がどのくらい使えるかも一つのポイントだった。空港に着いて電源を入れると、最初は「圏外」表示。「どうしてだろう」と思っていたら、そのうちバリサンになった。

 しかしパケットを通じての情報は取れない。しかしメールは入ってきている、というちぐはぐ状態。数時間たっても状況は同じ。ケイタイで日本の新聞が読めないし、リモートメールもダメ。通話は出来ます。しかしケイタイメールも不安定。うーん、今年の春まで持っていたボーダフォンが懐かしい。

 ホテルは無線LANが使えるのですが、それほど安定はしていない。54と表示があるが、結構遅い。まあ海外ではトラブルにぶつかった方がいろいろと勉強になる。なぜベトナムでパケット通信がうまくいかないのか、知っている方がいたら教えて頂きたいと。まあ前回来たときは弟に、「ベトナムのプロバイダーは一社しかない」と言われて、アップもダイヤルアップでしたから。その面では進んだ。

 マーケットは活気に溢れていましたね。消費水準は着実に上がっているように思えた。店も綺麗になっているし、商品も家電、AV関連などは日本とあまり遜色のないものが多い。「商売は?」と聞くと、「まあまあ」と答えが返ってきますが。


2008年06月08日(日曜日)

 (21:59)ベトナムの株の話はしましたから、今度は為替の話しを。ログを見たら、当時の円とドンの為替レートは「1円=100ドン」と書いてある。今回はどうか。

もうなくなるというので早起きしてシクロに  ホテルで少しのドルをドンに換える為に為替ボードを見たら「1円=166ドン」となっていました。つまり著しい円高・ドン安になっている。通貨の弱い通貨が抱える基本的な問題は、経済学の教えるところによれば、インフレです。日本は景気は悪いがインフレ率が低いので円高になる可能性がある。

 ベトナムのインフレ率をネットで調べたら外務省のページが出てきて、そこにはこう書いてある。

シクロの前に並んだバイク。よく見るとヘルメットには女性らしいデコが  GDP(経済)成長率(2007年速報):8.48%(2006年は8.17%)
 インフレ率(2007年速報):12.6%(2006年は6.6%)
 失業率(2007年速報):4.64%(2006年は4.8%)
 外国投資(認可ベース、2007年速報):203億ドル(前年比+70%)
 貿易収支(2007年速報):▲124.4億ドル(2006年は▲50.6億ドル)
 輸出(2007年速報):483.9億ドル(前年比+21.5%)
 輸入(2007年速報):608.3億ドル(前年比+35.5%)
 2006年が6,6%に対して、去年が12.6%。これは凄い。通貨が安くなるのは自然です。経済成長率の8.4%を遙かに凌駕している。外国の投資が増えていることもあるのでしょう、対外収支は赤に。外務省のページには更に以下のように書いてある。
(1) 1989年頃よりドイモイの成果が上がり始め、1995〜1996年には9%台の高い経済成長を続けた。しかし、1997年に入り、成長率の鈍化等の傾向が表面化したのに加え、アジア経済危機の影響を受け、外国直接投資が急減し、1999年の成長率は4.8%に低下した。

(2)その後、成長率は改善し、2000年には6.7%、2003年には7.2%、2005年には8.4%、2007年には8.5%と推移。特に2000年から施行された会社法により、民間企業の設立手続が簡素化された結果企業設立が加速し国内の景気回復に貢献しており、2005年11月には会社法の改正法案が国会を通過した。近年ベトナムは一層の市場経済化と国際経済への統合を推し進めており、2007年1月、WTOに正式加盟を果たした。  他方、慢性的な貿易赤字、未成熟な投資環境等懸念材料も依然残っている。

土地使用権利書  その結果、ホーチミン市内の主なレストランでは、メニューリストがドル建てという奇妙な現象が起きている。多分、インフレ率が激しいが故に、ドン建てのメニューは頻繁に作り替えないといけない。で、最初からドル建てにしてある、ということでしょう。

 ドル建てなのでドルで払う。お釣りはドンというところが多い。通訳のハンさんによると、特に外資系なのでは給与もドル建てになっているところが多くなっているのだという。さて、ハノイではどうでしょうか。ホーチミンは圧倒的にドルの世界である。円はあまり好まれない。

 紹介した外務省の資料を改めて見直すと、私が前回来た99年は最近ではもっとも景気が悪かった時、ということが分かる。ハハハ。しかし「未成熟な投資環境」と言っても、インフラなどは道路で見ればインドよりよほどいい。やはり法律面でしょうか。しかし同じように所有権関連法律が依然として曖昧な中国の企業の投資が増えていることがビルに着いている名前で分かる。「新華集団」とか。中国に関しては、ここに長い記事があるし、この本でも長く扱った。

 でもまあ、ベトナムは相当猥雑な市場経済になっていますね。街を歩くと盛んに声がかかる。私だけじゃない。「お兄さん.....」「カラオケ....」「若い......」と。無視しても相当長い距離付いてくる。誰にでも....。

 それにしても、今ホーチミンの街は大いに変わりつつあるようです。それを後で。


2008年06月09日(月曜日)

 (06:59)それはとってもベトナムらしい光景でした。

 市の中心部。ユーチューブに投稿もある「SAO」という名前のカフェは、ホーチミン市に数あるカフェの中でも流行カフェの代表格と紹介されているところですが、食事のあと5人揃って行ったのです。「人気の場所を」と頼んだこちらサイドの求めに運転手さんが応じて選んでくれた。さすがに良い感じ。3階まである。

いい感じのホーチミン市のカフェ”SAO”の店内から見た雰囲気  一階が一杯で、我々が座った二階の席から見た店の雰囲気は左の写真の感じ。日曜日の夜だからなのか、日曜日の夜にもかかわらずなのか知りませんが、とにかく皆さんのんびり。いろいろな集団がいる。

 実は私が一番驚いたのは、店に入るときには気が付かなかったのですが、出てしばらく見ていたときに気が付いた。それは店の外に実に綺麗に並べられたバイクでした。右の写真です。同じHONDAの同じ型のバイクだけが、選りすぐられて綺麗に並べられている。

 見ていると以下のような手順で右下の写真のようになる。若者中心に来店する人は、大部分がバイクで乗り付ける。次々に来ます。大体が二人、三人乗りで。店の車庫係(3人は居ました)は、そのバイクをアンロックで預かり、もし写真の車種だったら、それを店の前に実に綺麗に並べます。

店の前に綺麗に並べられた高級HONDA車。同一車種だけを選んで駐車させている  他の車種のバイクだったらどうするのか。見ていると、持って行く場所が全く違うのです。半地下になっている車庫だったり、歩道も車道側だったり。歩道の店側には実に綺麗にHONDAのこの車種だけを綺麗に並べる。

 ハンさんに聞いたら、「この車種はいいですよ、高いですよ....」と。つまり日本の感覚だと、店の前に例えばベンツのEシリーズの同一タイプだけを並べる、という感じなのです。トヨタのレクサスでも良い。とにかく同一車種というのが重要です。

 高いバイクを買えなかった客から文句が出ないのか。知りません。多分でないんでしょう。これだけ店の前に完全同一タイプのバイクが並ぶというのは、ホーチミンのバイク乗りの間でもこの車種のステータスが確立しているということでしょう。ほんまにビックリして、感心しました。店の人気の秘密なのかもしれない。と思ったら、隣の店もカフェでしたが、そこまで徹底はしていなかった。

 非常に重要なのは、この手の店がホーチミン市に出来たのは「ここ数年だ」(ハンさんの話)だということです。つまりベトナムの経済が97年のアジア通貨危機を乗り越えて、外資を受けながら成長して、その果実が国民に渡り始めた時期。

ホーチミンの最初のデパートの賑わい。フロントの一番目立つところにパナソニックのテレビが  実は、ホーチミン市で約4年前に出来た初めてのデパートにも行ってみました。SAOというカフェの直ぐ近くにある。Diamond Department Storeです。韓国系の企業が集まっているダイヤモンド・プラザの一、二階。韓国資本のデパートだといいます。重要なのは、この店がデパートしてホーチミン市では口開けで、「出来たのが4年前」(ハンさんの話)だと言う点。

 つまりデパートも、そしてカフェもここ数年の現象だということです。街の様相が変わったのがつい最近だと理解できる。デパートと言っても小さいですよ。また異常に警備員の数が多いのも特徴。しかし小さくしただけで、それ相応のものは一応揃っている。ダンヒルもあれば、モンブランのショップもあった。ヴィトンもあったかな。

私が”出会い系広場”と名付けたサイゴン大教会の前  じっと見ると、日本で普通に見られるような、例えば時計でもフランク・ミューラーのような高いものは置いていない。機種も限られている。しかし一応揃ってはいるのです。一つ「ないな」と思って見たのはメンズ。まあ男はベトナムではTシャツにサンダルですからね。女性モノは結構あった。

 もう一つびっくりしたことがある。ダイヤモンド・プラザからホテルに帰る途中に、サイゴン大教会の前を通ったときだ。実に無数のバイクが広場に集まっていて、これも無数の男女が何をするでもなく、普通に喋りながら時間を潰している。

 それこそ無数の....という表現が当たっている。よく見ると教会に向かって右サイドのエリアにも実に多くのバイクが止まり、その回りに人(大部分が若者です)の輪が出来ている。「(彼等は)何をしているのですか....」とハンさんに聞いたら、「別に何もしていないのでは....」と。

 現地の人が依然としてサイゴンと呼ぶホーチミン市の6月の夜は暑い。教会の前に皆でバイクで乗り付けて喋っているのが楽しいのかもしれないし、私が一瞬思ったように「出会いを求めて、リアルに」ということかもしれない。

 しかし、面白い光景でした。


2008年06月10日(火曜日)

 (06:59)月曜日は朝からホーチミン市を北に行ったり、綺麗なとは言えない池の上にあったレストラン。客はわれわれだけでした南に行ったりと結構移動しながらの取材。取材の成果はまた番組(7月19日夜10時10分からNHKBS1)を見て頂ければ良いのですが、それとは別に目が飛び出るほど驚いたことがありましたので、その話を。

 ホーチミン市からある程度離れた工業団地の午前中の取材を終えて「さあ昼飯」という段になったのですが、エアコンの効いたレストランを探したがない。「うーん、もう仕方がない」と妥協したら、森の中の右上の写真のようなレストランに落ち着いた。京都には川床料理という夏に非常に良い食形式が鞍馬の上、貴船にあるのですが、「これは池床料理だな......」と冗談。

 私たちの他には全くお客がいないんですよ。まあ平日の昼間だということもあるのですが。「本当に料理が出せるのかな.....」という風情。私は何も注文する気がせずに、コーディネーターのハンさんとDの橋本君が「万が一」のために用意してくれたサンドイッチをかじっていた。

 ところが、考えたらここはレストラン。そりゃ何か頼まなければ悪いですよね。私が周囲の写真を撮っている間に誰かが「焼き鳥」を頼んだらしいのです。二本。それがちっとも出てこない。サンドイッチを食べ終えても。午後の取材が迫って来つつあるのに。日本だったらあまり時間を置かずに出てくる。焼き鳥だったら。

 そこで「どないなっているんだろう」と私が見に行ったのです。そしたら、右の写真のようになっていた。瓶の下にスミを入れてそこで火を起こして、それで瓶全体を熱し、それによって丸ごと絞めた鳥をゆっくり焼いていた覗いて本当にびっくりしました。冗談で「今絞めているんだよ」とか言っていたら本当だったし、丸焼きにしているとは思わなかった。ははは、笑えました

 まあ時間をかけて焼いていましたからね。これなら「鳥インフルエンザも大丈夫」という感じです。しかし時間が刻々と過ぎゆく。出てきたのが左の下にある写真の完成品でした。よく見ると、ちゃんとお頭が付いている。じっと見つめられると、「全部食べてね」と言っているようだったので、二本(実際は二羽)も頼んだので、一つは食べて、もう一つは渋滞になったときの社内食用に。  移動時間が長かったので、あいも変わらないバイクを群れをじっとみていて、もっぱら女性なのですが大体2割の人がタイのバンコクで見かけるようにマスクをしていることに気が付きました。日曜日のホーチミンもそうだったのですが、月曜日はその数が増えたように思えた。

 実は日曜日のホーチミン市はマスクをしてバイクを運転しなければならないほど空気が汚れているようには思えなかった。しかしそれは日曜日だったから、ということと、道が比較的整備だれている市内だったためだと月曜日になって分かったのです。

 平日になると、トラックは市内での通行を禁じられているのですが、その地域から外れると大型トラックは我がモノ顔で一杯走っているし、道は土っぽくなるしですさまじい粉塵。「これだったら女性がマスクを装着するのはよく分かる」と思いました。最近のバンコクは知りませんが、今でもそうでは。中には四輪車に乗っていても、大きな、そしてしばしばカラフルなマスクをしている女性もいる。

完成品としては納得の見事さ。美味しかった  ベトナムは信号が少ない、というのは99年に来たときから感じていたのですが、今回「ロータリーが多いからだ」と気が付きました。フランス人が街を作り、フランス人が今の文字を作った国ですからそうなったのだと思いました。信号があるにはあるが、圧倒的に世界の他の都市に比べて少ないのです。

 だから、慣れない我々にはロータリーは怖いですよ。自分で運転しているわけではないが、あれはタイミングの取り方が難しい。自分でやれと言われたら、あの交通量の多い、四輪と二輪と、加えて自転車が大量に通行している中では難しいと思う。
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 なにやかやあって、夜8時のフライトに乗ってハノイへ。またまた持ち込めないものが出てきて(水分でした)、「もったいないからみんなで飲もう」という話になって、ちょっと全員でラッパ飲み。ははは、初めての経験でした。

 ハノイに着いたのは午後10時前。私が前回香港からのフライトで降り立った掘っ立て小屋ではなく、その時作っていた立派な空港でした。今日からハノイ、その近郊で5泊くらいします。温度表示を見たら28度。ちょっと涼しい。


2008年06月10日(火曜日)

 (22:59)取材を終えてちらっと為替の動きを見たら、ドル・円が107円台ですか。後で述べますが、ブッシュ発言やポールソンの為替介入も辞さないという発言を受けてドルが上昇している。まあその根っこは、今週の月曜日に書いたレポートで指摘しておいた「アメリカによる金融、さらには外交政策としてのインフレ抑制・ドル価値維持政策」にあるのですが。

 アメリカがインフレ抑制と、それとの関連でドル価値維持政策に舵を切ったことは、アラブ諸国との関係の中では理解できる。しかし今現在アジア、特に経済のある意味での危機が取りざたされているベトナムにいると、このままのドル価値の諸国通貨、特にアジア通貨への上昇は、これら諸国にとって非常に重荷になる、と思う。

 月曜日のホーチミン市の新聞「Saigon Times」の一面の見出しは、「PM Dung says Vietnum has no plan to devalue dong」でした。これは市場に根強くある「ドン切り下げ観測」を打ち消すためのものです。重要なのは、そういう観測が出ていると言うことです。彼がもっと言っていることで重要なのは、「ドンを完全フローティングにすることを検討したが、それはベトナム経済にとってプラスにならない」と結論した、ということ。ということは、実質的な切り下げを検討した事実はあると言うことです。首相は、ベトナムの対外収支の動き、それに経済自体は強い抵抗力を示している、と述べている。

 そして火曜日のハノイの新聞「THANHNIEN DAILY」の一面左の記事は、「IMF says it isn't in talks with Vietnum on loans」となっている。ベトナムがIMFからの借り入れ、それは起きうる対外収支危機(今年年初から5ヶ月は経常収支は10億ドルの黒。しかし貿易収支は赤基調)への対処でしょうが、を話し合っていることはない、という見出しです。ということは、市場に根強い観測があると言うことです。

 しかしそうした状況の中でのドル高。ベトナムは現在前日の基準値に対して、当該日のドンの上下幅を対ドルで1%に規制している。本来は2%なのだが、それを厳しく運用。しかしそれでも、最近はドル高・ドン安が止まらない。止まらないのは、株安と同じです。ドンが安くなれば、原材料価格が上がって対外収支が悪化する。一方の輸出は有利になるはずですが、輸出は世界的な景気悪化の影響を受けている。

 その一方でベトナムのインフレ率は凄まじい。昨年が12.6%、今年これまでは25%と言われている。加えての株安、そしてドン安。ベトナムに限らず、アジアの諸国はドルがあまり高くなると厳しいところが多い。中国がそうですが、インフレに対処して金利を上げれば、国内の経済活動が厳しくなる。また庶民の企業や政府に対する目は厳しくなっている。

 ちなみに上海の株式市場は7.7%も下げて、3072.33と大台割れ寸前まで来ている。預金準備率の1%引き上げという先週の発表がきっかけ。アジア株安を受けて東京の株も安い。

 備忘のために、アメリカのブッシュを初めとする当局者が何と言ったかをロンドンのTIMESの報道に見ておきます。

President Bush betrays fears over economy with strong dollar call

Gerard Baker and Tom Baldwin on board Air Force One

 President Bush issued a call for a rise in the value of the US dollar on currency markets yesterday in a signal of mounting official alarm in Washington about the effect of the slumping greenback on the world’s largest economy.

 In an exclusive interview with The Times on the eve of the United States-European Union summit in Slovenia, Mr Bush expressed concern about the dollar’s continuing weakness and said that he favoured an appreciation in the US exchange rate.

 “We want the dollar to strengthen,” he said on Air Force One as it crossed the Atlantic bound for the summit.

 The President did not suggest that the United States was preparing to back its rhetoric on the dollar with any formal intervention in the exchange markets. He said that the “relative evaluations of economies will lead to that dollar strengthening”.

 Henry Paulson, the US Treasury Secretary, in an interview on American television yesterday, hinted at a growing inclination in Washington to prop up the dollar. Mr Paulson said that he “would never take intervention off the table”. The dollar rallied 1.3 per cent against the yen to Y106.23 amid hopes of intervention. The euro fell 1 per cent to $1.5626.

 ブッシュは明言しなかったが、ポールソンが「介入も否定しなかった」と。ここまで言うとは、月曜日の段階では私もあまり予想していなかった。アメリカの金融政策、為替政策が変わったことは指摘しましたが。金利が直ぐには上げられないとなると、まずは「talk up」ということなんでしょうが。

 まあ一言で言えば、世界の市場はちょっときな臭い


2008年06月11日(水曜日)

 (09:59)ホーチミン市から来るとよく分かるのですが、ハノイはベトナムの首都と言っても、以前はサイゴンといい、今でもベトナムの人々がサイゴンと呼ぶ南の商都に比べると見劣りがする都市です。人口も半分ちょっとだし、資本の投下具合が違う、という印象。

市の中心部にある文と武のゴックソン寺  まず街並みが昔ながらというか、綺麗じゃない。歩道など歪んでいるし、立ち並ぶ商店なども埃っぽく、かつ狭く小さい。ホーチミンにはいなかった子供の物乞いがホテルの前にもいる。

 ホーチミンで取材した何人かの人の中で、少なくとも二人(二組)は「ハノイから移ってきた」という発言をしていた。ハンさんにも聞いたら、「職もあり、資本も集まっているのでハノイからホーチミンに移る人も結構いる」ということだった。

 高層ビルを資本投下の代表例だとすると、本数はホーチミンの方が数倍多い。ニョキニョキ出来ている印象だったが、まだハノイは数えるくらいしかない。官庁の街という印象だが、一歩ハノイを出ると工場団地や新開発の街が出来つつあり、またハノイ市は行政区を拡大して大きくなって登場するそうなので、例えば10年後には大化けしている可能性はある。

多分ODAで出来た道なんでしょう。日越の協力を表したようなモニュメント。最初にこれを見たのは99年だと思う  火曜日に夕方時間が出来たので、観光スポットはどこかと探し、一人でタクシーを拾って運転手さんに頼み、「ゴックソン寺」「ホーチミン廟」など数カ所を回ってみたのですが、インドのタージのように驚愕するものはない。紫禁城のようにあの独特の茶色が目に付く古い建物が多い。

 一つ面白かったのは、ベトナムも昔は漢字文化だったと言うことが改めて分かったと言うことです。ゴックソン寺には漢字の文字が山ほどある。ではベトナムはいつ漢字を捨てたのか。それは多分フランスの統治時代です。アルファベットにする方が、フランスにも都合が良かった。注意深くベトナム語を聞いていると、当然ですが表音文字であることが分かる。

 中国に千年とも言われる支配を受け、次はフランス。そして日本。この細長い国は苦難の連続だったわけです。戦後はアメリカとの戦争。その後遺症は99年に来たときには鮮明に残っていた。手や足を失った人が目に付いた。今でもその傾向があるのですが、人々は小さかった。その時よりも背丈の伸びた人が増えたように思う。

 非常に面白いことがある。取材した韓国人も、台湾の人も、そして恐らく日本人も「ベトナムとの相性がよい」「居心地が凄く良い」と揃って言うことだ。フランス人やアメリカ人も聞いてみようと思うが、いつもあまり仲が良くない日中韓の三カ国から、「相性が良い」と言われるベトナム。不思議の国でもある


2008年06月11日(水曜日)

 (10:02)うーん、さっき読んだウォール・ストリート・ジャーナルの

Inflation's Bite Worsens Around World
China, Vietnam Show Fresh Stress;
Bond Investors Bet Fed May Raise U.S. Rates
 という記事に以下の記述があるから、昨日ベトナムは通貨の切り下げに相当することをしたんでしょうね。バンドの拡大とか。こちらは情報がないんですよ。私はベトナム語を読めないし、英語の新聞は配達が遅い。
Inflation worries are heating up around the world and jolting financial markets in the process.

On Tuesday, China's stock market was the latest to feel the blow, with the benchmark Shanghai Composite Index tumbling by 7.7%, to its lowest close this year. The drop came after the government escalated its efforts to remove cash from the financial system in an attempt to tamp down inflation.

Also Tuesday, officials in Vietnam devalued their currency, in a step aimed at easing market pressures related to soaring inflation rates.

 インフレ率と言えば、日本でもじわじわというか、急激にというか上がってきている様子ですね。5月の国内企業物価は前年比4.7%上昇した、と。これは27年3カ月ぶりの伸び率だという。

 日銀発表によるもので、2005年を100とした国内企業物価指数(速報値)は108.7と前年同月比4.7%上昇。上昇は51カ月連続で原油や鉄鋼原材料、穀物などの価格上昇が続いていることが影響したという。また前月比の伸び率は1.1%で、消費税引き上げや導入の影響を除くと1980年4月以来、28年1カ月ぶりの高い伸びとなったという。

Developing economies -- some of which fought bruising battles to tame inflation in the 1980s and 1990s -- seem particularly vulnerable. Many economists started the year worried that the biggest threat facing these economies was weaker growth, in the wake of the U.S. slowdown. Instead, inflation is turning out to be a potentially bigger problem.
 まあでも、上記のウォール・ストリート・ジャーナルの記事のように、途上国の打撃が一番大きいんですよ。


2008年06月12日(木曜日)

 (07:02)やっぱりベトナムはバンドを拡大していたようです。と同時に利上げした。複雑な操作です。

 ロイターなどのソースによると、ベトナム中央銀行は10日にインフレ抑制のため、基準金利を12%から14%に引き上げた。同時に11日の通貨ドンの公式レートを10日の水準から1.96%下回る水準にすると発表した、という。今まではドンの一日の切り下げ幅は1.0%に限定してきたから、概ねバンドを2.0%に拡大したと言うことでしょう。実質的には通貨の切り下げを行っている、ということです。

ハンさんの推薦で行ったフォーの店。メチャおいしかった。お値段はお一人様150円弱。ここが探せたら偉い。冬は大行列だという  それにしても、基準金利の12%から14%への引き上げは大幅です。しかしインフレ率が5月の最新統計で25%ということなら、それも仕方がない。金利を上げると、一般的には経済は活動を弱める。企業が個人が、お金を借りられなくなるからです。となると雇用とか、給与とかに響く。インフレ25%という中で、ベトナムに進出している企業の労使関係は緊張している。ストが起きているところもある。

 ベトナムは発展はしているが、いろいろな問題を抱えている、ということです。ベトナム中銀はまた、リファイナンシング金利を13%から15%に、公定歩合を11%から13%に引き上げた。主要金利の引き上げは今年に入って3度目。

 インフレは中国でも、インドでも進行中。中国国家統計局は11日、5月の工業品出荷価格指数(卸売物価指数)が前年同月比で8.2%上昇したと発表した。4月の8.1%から上昇幅は拡大し、2004年10月以来3年7カ月ぶりの高い水準。中国の物価高は食品価格の上昇が主導してきたが、工業製品にも波及する懸念が強まっている。

 一方、インド中央銀行は11日、政策金利のレポ金利(市中銀行に貸し出す翌日物の貸し出しレート)を0.25%幅引き上げて8%にすると発表した。足元の卸売物価指数の上昇率が8.2%と4年ぶりの高水準にあり、4日のガソリン価格引き上げでさらなる上昇が見込まれるため。レポ金利引き上げは07年3月以来。

 インドは今年に入って現金準備率の引き上げで物価上昇に対応していたが、本格的な利上げ局面に入る。ムンバイの株価はどう動くのか。来週はインドからチャタルジー君が日本に来る予定なので、ご意見拝聴といこう。
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すさまじい本数の電線がハノイの街の上を覆う。電線の多い日本から見ても驚く本数であり、その多くはたわんでいる  ところで、ハノイと言えば電線です。それはそれは凄い。99年に来たときもそうだったのですが、今回改めて「これで危険じゃないのだろうか」と。写真は交差点の大きな電柱を上に向かって撮ったものですが、これを見ても「何でまとめられないんだろう」と思うのですが、問題は電柱と電柱の間の電線です。

 本数が多いせいか、ものすごくたわんでいるのです。つまり、電柱と電柱の間では、電線が何本かは人間の頭ほどに垂れ下がってきている。「危ないだろうに」と思うわけです。

 「最近は停電が多い」とハンさん。ハノイでも電力需要が鰻登り。工場向けも時々供給が止まるようで、この点は「ベトナムのインフラ不足」の一因に挙げる人が多い。日本では停電というのはほとんど経験しない。日本の電力会社の人に言わせると、「日本の電力料金は高いが、停電率が低い」と。それは事実です。

 停電にはいろいろ思い出がある。ニューヨークにいた70年代の後半には、ニューヨークの大停電に遭遇したし、インドでは数日間の間に5〜6回停電した。インドの停電はホテルで遭遇したので、確実に3分ほどで回復。自家発電が起動するからです。しかし、数分でも真っ暗闇の中に置かれると、ちょっと不安なものです。


2008年06月13日(金曜日)

 (06:02)ははは、正直言って1999年に来たときには「シンガポールに行かねばならないが、ではちょっと弟一家のいるベトナムに立ち寄って見ておこう」といった軽い気持ちでした。弟から、「今タンロンというハノイ周辺で一番大きい工場団地を作っている」と聞いても、「へえ.....」くらいだった。まあでも、道路沿いの団地は車窓ごしに見た記憶がある。

タンロン工業団地の大きな、高い看板  しかし今回事前に取材予定地の中に「タンロン工場団地」というのを見付けて、「あれ、これって...」と思い出し、びっくりしたというのが本当のところ。まあ田圃か何かだったんでしょう。しかし将来を見込んだ住商が工場団地(industrial park)を計画し、ベトナム政府がそれを支援し、そして弟の勤める建設会社が団地造成を請け負った、という関係だったのでは。

タンロン工業団地の中にあるほたる食堂の店内。多くの日本の方々が食事をしていました  関連資料を見ると、97年に立案されたと書いてある。まあそのころだったのでしょうね。彼が家族を連れて赴任したのは。12日の昼はその周辺の取材に前もって、団地内のほたる食堂で全員で食事。たまたま弟を知っている人がいたりして、面白かった。

 まあ今ベトナムではホーチミンの周辺でも、ハノイの周辺でも大規模工場団地造成が続いている。当時は大きかったタンロンも、規模としては小さくなってきた。ただし既に稼働している、という意味では十分に整備されていて、住商が作っただけあって多くの日本の会社が進出。

 ちょっとびっくりしたのは、日本国内の食堂が最初に引っかかると思ったら、グーグルで「ほたる食堂」と検索したら、即ハノイのそれがかかった。まあいろいろな人が思いを込めてネットに書き込んでいるのでしょう。何か非常に懐かしい名前の「食堂」ですから。私も店内の写真を一枚。

 ははは、当時は70年代の後半にはもうニューヨークに居た私の方が「兄弟の中では国際派」と冗談ながら思っていて、99年に来た時は「彼もやっと外国勤務か?」なんて思っていたが、その後彼はずっと基本的には海外。直近でもらったメールはチュニジアからでした。写真も添付して、「橋を造っている」とあった。

 日本の建設会社の海外進出というか、活路というか、その一つの象徴のようになっている。まあ、今は彼の方が国際派でしょう。居住した国の数も彼の方がはるかに多い。私は海外には随分行っていますが、80年代の初めから基本的には日本で、ドメちゃんですから。

 まあでもあちこち移動し、取材をしていて思うのは、「この国はまだベトナム戦争の傷を引きずっている」ということです。私が取材先でベトナムの人から借りてかぶってみたベトコン(vietcong)帽子は今でもあちこちで見かけるし、少し年を取った人と話していると、「当時は道の直ぐ脇に穴が掘ってあって、空襲の時は直ぐにそこに避難した」とかいう話が出てくる。

まだ多くの場所で使われている緑のハット  私が知っている限り、ベトナムの人は世界で一番小柄な印象がする。大きい人もいるが、総じて小さい。まあ中国でも、北の人が大きくて、南の人は総じて小さいので、地域性もあるのかもしれない。しかし、長く辛い戦争の影響だったのかなとも思う。

 99年に私が来たときには、ハノイ市内の大きなビルと言えば日航ハノイだけだった(と思う)。ちょっと郊外に出ると、体の不自由な方も多かった。戦争の負傷の後遺症の方も多かったのだろう。

 当時に比べれば跛行的にではあるが、街は綺麗になっている。しかし、全体的に見られる貧しさは、「あの長い戦争の間は発展の機会を奪われた」という点が大きいのではないか。そうでなかったらもっと豊かになっていたはずだ。日本はその間一貫して経済大国の道を選んだが故に今がある。

 11日にベトナムは「不思議の国である」と書いた。一つの不思議は言葉です。耳に入ってくる印象としての。優しく、優しく聞こえる。男の人が話していても優しく聞こえる。彼等の表情は豊かなのだが、穏やかで優しい。中国や韓国の人の持つ、ある意味での積極性、ある意味では攻撃性がない。「この優しさで、よくアメリカと戦ったし勝った」とも思う。私もたった数日間いるだけで、間違っているかもしれませんが。印象としてはそう思う。

 両親を敬い、目上を尊敬し。働いている人に聞くと、「両親に育ててもらったのだから、両親に給与の一部を送るのは当然」と皆優しく言う。私に言わせれば、「一部」ではない。「かなり」だ。もらっている給料と、送っている額を聞くとそう思う。儒教の伝統が強く生きている。

 とにかく暑いし湿度も高いので、その点はちょっと大変だが、国としては非常に興味が持てる。面白い国です。
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 ところで、最新エッセイが日経BPさんから公開されました。ハハハ、海外にいても原稿の締め切りが来るんですよ。毎週のもあるし、隔週もあるし、月間もある。慣れていますが。


2008年06月13日(金曜日)

 (22:02)ベトナムがいいのは、大方どこで何をしていても脅威というものを感じないことです。お前は知らないだけだという人もいるかもしれませんが、今日も一人でタクシーに乗って出かけたが、「何か起きるかもしれない」という予感はしない。言葉が全く話せなくても。運転手は正直だし、英語を話せる人は皆親切に教えてくれる。

ハノイのパークソン・デパート  もっともそれは私の感覚だけであって、旅行者の命には別状はないかもしれないが、ベトナムも少しは物騒になっているのかもしれない。いくら取材好きといっても日にちが過ぎてちょっとデジャブーになってきたので、仕事が早く終わったので夕方からタクシーを拾ってデパートに行ったのです。ハンさんからハノイ一番と聞いたパークソン(ははは、この建設中という表示が今時珍しい)いう店に。

 思ったより立派なデパートでした。ホーチミン市のダイヤモンド・プラザ(2階)よりも数段良い。階数も6階くらいまであって、メンズもきっちり置いてあった。驚いたのはゴルフ用品売り場が相対的に他の売り場より充実していたこと。音がしたので覗いたら、試打を従業員がしていた。スイングになっていませんでしたが。「ハノイ周辺にどのくらいゴルフコースがあるのか」と店員に聞いたら、「10くらい」と答えてくれた。

 時計もいっぱいあったな。ベトナムの人は時計好き。まああまり高い時計はなかった。女性ものはかなり揃っていました。トリンプの製品とかもあって、面白かった。あと寝具などなどに日本の製品が数多く置かれていた。

 話がずれました。「予想よりはいいデパート」だったのですが、各階の全ての出入り口に日本のCDショップや家電量販店に見られる盗難防止磁気装置がいかめしく置いてあること。しかも置いてあるだけではなく、各装置に監視員が一人付いて目を光らせてる。これは女性でした。

猥雑さが消えると、ハノイの街も車のライトが綺麗になる。大部分はバイクですが  かつ、店内には男性警備員がこれでもか、というくらいいる。常に鋭い目をして歩いている。もっともそれはダイヤモンド・プラザでも同じ事だった。ということは、モノが取られる、盗まれると言うことがあるのでしょう。だから警戒している。デパートの話ではないのですが、バイク泥棒も当然いると聞いた。

 面白かったのは最上階。最上階に「Family Supermarket」という、まあコンビニのような店が入っていて、あとは食堂街になっている。食堂と言ってもKFCだったり、ロッテリアだったり、ちょっとしたSUSHIの店があったり。ははは、ちょっとビックリ。食事をしながらしばらく見ていました。人間観察。

 次々に人が来る。高級デパートの上なのですが、皆サンダル履きです。ハノイの立派な、オフィシャルな履物というわけです。サンダルが。結構家族連れが多い。デパートの他の階よりよほど混んでいた。せっかくだからと思ってスーパーでペリエを、それにベトナムらしいボールペンを選んで、買って、お金を出したら、「硬貨」が戻ってきたこと。99年に私が来たときには、硬貨はなかった。

 聞いたら2004年頃発行されたらしい。しかし今も流通量は少ないようです。めったに返ってこない。タクシーで通用するのは紙幣だけです。<そのタクシーには苦労する。数字が大きすぎて、いくらなのか分からない。メーターは多分ゼロが二つか三つ切り捨てて表示されている。


2008年06月14日(土曜日)

 (07:02)ははは、もっと早く気付けば良かったな。本当に情報がないんですよ。珍しい。朝英語の新聞がホテルに届いていない。昼頃だと言うんです。ホテルの問題かも知れませんが。だから、通貨の切り下げや金利の引き上げも東京に調べてもらった。うーん、このサイトを知っていればもっと早かったかもしれない。

 このVietnam Newsという新聞のサイトは、今後もベトナム情勢を把握する上で役立つと思う。記事がどういう残り方をするか知りませんが、一応検索サイトもあるし。今日のこの新聞の記事で面白いと思ったものは

  1. 庶民のインフレへの懸念を共有していると大統領が言明したという記事
  2. 大発展する都市に対して、ベトナムの農村の窮状が深まっているという記事
  3. ホーチミン市の空気汚染の悪化が進んでいるという記事
  4. 20日間も下げ続けていたベトナムの株が反発したという記事
 などなど。最初の記事はベトナムに入ってからずっと聞かされてきた問題。5月は25%のインフレ。そりゃエンゲル係数の高い庶民を直撃しますよ。ストも起きる。朝を抜くベトナム人が増えたとも聞いた。

 都市近郊ですが、ベトナムの農村地帯にも行きました。ディープでした。「"There is still a big gap between urban and rural people in terms of literacy and school drop-outs."」という記事は本当なんでしょうね。

 ホーチミンもハノイも、空気汚染は本当に酷い。この記事には、ホーチミン市の場合、350万台のバイクと40万台の自動車の60%は排ガス基準(政府の)を満たしていない、と書いてあった。350万台 !。同市の人口は750万と聞きましたが。

 たった一日の新聞記事の中でもその国の大きな流れが分かる。12日の同紙には、ベトナム中部で砂漠化が進行中で、ベトナム国民8500万人のうち、2000万人が影響を受けている、という記事もあった。

 やっとこのサイトに気付いたと思ったら、日曜日の夜には帰国です。そろそろ頭の帰国準備をしないと。ははは、ベトナム一色でしたから。


2008年06月15日(日曜日)

 (22:02)帰国の前に一移動。14日に午後3時過ぎまでかかったハノイでの取材を終えて、もっぱら国道一号線を車で北上。ベトナムと中国の国境を目指して。車は平地では時速70キロで、山登りの道では平均50キロで走って「国境まであと車で一時間」(ハンさん)のランソンの街に宿泊。

ベトナムも中国との国境が接近する北部になると山、また山である。  ランソンとはベトナム北東部の中国国境との町で、ベトナムと中国の南寧、さらには広州を結ぶ交通と商業と軍事上の要地である。西のラオカイとともに古来中国軍の侵入路だった。1979年の中越戦争により国境は閉鎖されたが、1992年再開されたという。

 国境というのはいつでもちょっと興奮する。日本には陸上には国境はない。平地に引かれた国境では、常に何かがコライドしている。つまり何らかの衝突がある。アメリカとメキシコの国境をメキシコサイドから取材したのも良い思い出ですが、あの時もメキシコの人々の思いとアメリカのそれは衝突していた。

 ベトナムはハノイを離れて北上すればするほど山が多くなる、というのが特徴です。道はもっぱら少しずつ登っていく。車が少なくなり、中国の南部で見た山の風景が展開する。日本のそれと違うのは、日本だと直ぐに道の近くを流れている川の水が綺麗に、かつ透明になるのですが、14日のベトナムの北部の川は濁っていた。どうもかなり雨が降ったようです。

 我々が走った国道一号線に沿って鉄道が走っている。ベトナムには基本的には鉄道はこの一本しかないという。この鉄道が北に延びると同時に、南に行けばずっとホーチミン市まで貫く。しかしほとんどのところは単線です。移動の車の中から、一度だけ走っている電車を見た。確か3両編成だった。多分客車だった。

 ベトナムと中国は国境でコライドしていた。同じ社会主義の国なのに、対カンボジア政策で反目し、1979年には一ヶ月に渡って戦火を交えた。はっきりした数字は公表されていないが、双方で5万以上の死者を出した。

 70年代のカンボジアはクメールルージュのポルポト政権。中国はこれを支持していた。後で明らかになるのだが、ポルポト政権は国内で虐殺を繰り返し、国際的非難を浴びていたが、ベトナムはこのカンボジアのポルポト政権と対立。大規模に侵攻し、同国のかなりの部分を占領した。

 それによって大虐殺は終わったとされるが、これに対して中国は自分の支援国を占領したベトナムを「懲罰する」と称して、まず56万の軍隊を国境に集結し、79年2月17日に国境を越えてベトナムに侵攻し、ベトナム東北部を占領した。しかし中国軍にはかなりの痛手があったとされる。その時にランソンの街は一ヶ月に渡って中国によって占領された。「殺された人もいた」とハンさん。彼女はさらに、「中国の人は何を考えているのか分からない」と。

 ランソンは国境の臭いのする街です。どこか落ち着きがない。携帯電話と扇風機の店が異常に多い。陽が暮れてから着いたので、その日は出かけずに一泊。
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 15日は朝7時過ぎにはホテルを出て、一路国境へ。検問があり、それを通るとまた検問という状況。しかし、事前に話はと言っているのでそれほど時間がかかるわけではない。ずっとベトナム側の国境警備の人が我々について監視すると同時に、ちょっと質問すると一応の答えはくれる。

 国境はこれみよがしに存在するのではなかった。大きな印があるわけでもなく、道の切れ目としてあった。左の写真で私と省の二人の役人(若い女性ですが)が立っている横のラインがその境界です。そこで舗装が違っているのです。よく見ると、ベトナム側から歩いていった切れ目の先には、漢字で「中国国道322号線終点」と書いてある。つまり、その切れ目が中国の国道の終点と言うことです。逆に言えば、それがベトナム側の終点でもあり、始点でもあるということになる。

 その国境から相互に60メートルくらい離れたところに建物がある。通関の関連です。ですから、私たちはベトナムから入ったが、実際の国境は簡単に跨ぐことが出来る。片足をベトナム側に、もう一方を中国側に置くことが可能だし、実際にそうしてみました。中国領だがビザがいらない領域というのが国境にはある。25メートル幅で。

 切れ目から実際には更に進んで、体全体を20メートル以上中国側に起きました。ですから、ベトナムのビザしか持たないのに中国領内に入ったという不思議な状況になった。国境のない日本では味わえない状況です。

彼女らは若くても省の役人で、我々の国境取材に付き合ってくれました  中国側にカメラを向けて二つあるトンネルを撮っていたら、それに気付いた中国側の警備員が、「ここはダメだダメだ」とちょっと顔色を変えて近づいてきた。やはり緊迫感はあるのです。恐らく中国側から入っていれば、カメラは全く問題なかった筈です。

 中越戦争終了後、国境が開かれたのは1993年だと聞いた。徐々に交通量が増えたのでしょう。まあ、国境も同じトラックで越えられるようになるのは相当先でしょうが、とにかくこの二つの国が地続きであり、それ故に紛争も抱えたが、いったん仲良くなればモノの行き来も活発になると言う状況。

 やや緊迫感のある国境に立ち会うのは、旧西ドイツと東ドイツを隔てていたベルリンの壁、旧東ドイツとポーランドの境、メキシコとアメリカの国境、そして今回のベトナムと中国の国境。飛行機では国境は簡単に越えられますが、陸づたいはなかなか難しい。

 一応の取材が済んだ後は、またハノイへ。また少し取材をして、あとは帰国準備。私は帰りますが、チームは今後も絵を撮り続ける。良い番組になってほしいものです。


2008年06月16日(月曜日)

 (22:02)朝方東京に戻ってきましたが、「日本はなんと涼しく、かつ爽やかな場所か」と思いました。まあその前数日がどういう状況だったか知りませんが。帰ってきて行き慣れた場所数カ所に行くと、一週間前の日本の事がすべてがフラッシュバックしてくる。

 それにしても、良い経験でした。東南アジアの一つの国にこれほど長くいたことはない。居て空気を吸っていれば、何かを感じる。むろん取材目的はあって、それは7月19日の「地球特派員」(BS1 午後10時10分から)に放送されるので、楽しみにしていただきたいと思います。

 今のアジアが置かれている経済の状況、中国、日本、アジアの関係、しいては世界経済全体を理解する上で非常に参考になるはずです。私がベトナムに居る間に、日本では色々なことが起こった。ケイタイで速報は来るし、日本のテレビを見れる。しかし、ベトナムに居るときはベトナムを中心に考えようと思っていました。

 これからまたちょっと離れた目でベトナムを見ていこうと思っています。むろん、その他の事も。  

 ――(1999年にベトナムを短期訪問した時の想起)――  

 ベトナムには1999年にも行きました。弟が今回の取材対象だったハノイ近郊のタンロン工場団地の造成をやっていて、シンガポールで講演を頼まれたついでに70時間ちょっとハノイに居たのです。以下は、その時の小生の感じたことを記した文章です。

 当時のベトナム、シンガポールは1997年のタイを発信地とするアジア通貨危機の傷が癒えない頃。ハノイのホテルも閑散でした。しかしそれからベトナムもシンガポールも大きく変わった。ベトナムは今回取り上げた通りです。シンガポールは2008年夏の統計で、国民一人あたりのGDPが日本を抜いた。以下は日本時間7月5日の日経ネットのニュースです。

シンガポールが日本を抜く 1人当たりGDP

 アジア一豊かな国はシンガポール――。国際通貨基金(IMF)の調査で、2007年のシンガポールの1人当たり国内総生産(GDP)が3万5000ドルを超え、日本の約3万4300ドルを抜くことが明らかになった。資源に乏しいシンガポールは積極的な外資・外国人の誘致策で経済の活性化に取り組んでおり、市場開放が後手に回った日本との違いが鮮明になった格好だ。

 シンガポールの1人当たりGDPは6年連続の増加。同国は07年課税分から法人税率を2%引き下げ18%に低減。所得税も最高税率20%で相続税もない。太陽光発電など先端技術企業や資産管理ビジネスなど製造業や金融の誘致も盛んだ。(シンガポール=野間潔) (14:23)

 これからまた10年後のアジアはどうなっているのでしょうか。99年のday by dayから。


99年11月04日(木曜日)

 なんだか、一日中メールを打っていたような。今週の土曜日から行くシンガポールとのやりとりが一番多かったのですが、通信事情は日本とかなり違うみたいですな。まあ、行ってからのお楽しみですが。ピッチとかはないみたいですし。

 イングランド銀行、ヨーロッパ中央銀行が相次いで利上げを実施。今週はオーストラリアも利上げをした。90年代のデフレの時代から、「インフレ警戒の時代」に入ったと言うことでしょう。しかし、昔から統計を取るとデフレの時代からインフレ警戒的な時期に株は一番上がるという。そういう展開に一応はなっているということです。水曜日から木曜日にかけては、世界中の株が上昇。NASDAQ の 3000 ドル乗せが大きかった。

 {[(-_-)(-_-)]} ...zzZZZ 〜♪直前にちらっと見たら、利上げにも関わらずヨーロッパの主要市場の株価は軒並み上げている。上がっても低い。経済活動は活発化してきた。株、特に出遅れていた株には良い時代というわけです。


99年11月05〜06日(金〜土曜日)

 まずベトナムに移動してきています。ハノイは香港から1時間半くらいでしょうか。ハノイからホーチミン市(旧サイゴン)までは2時間だそうですから、いかにこの国が南北に長いのかがわかる。気候も特に暖かいと感じることはないのですが、これがホーチミン市に行くとかなり違うらしい。つまり南北で温度差がかなりある。

 「ハノイ国際空港」は、小さな空港で右手に今新しいターミナルを建設しているのですが、建設関係で1年くらい前からここに赴任している弟の話では「まあ、5年後くらいに....」という話。のんびりしたものです。現ターミナルの印象は、サイパンの空港とまでは言わないが、日本の地方都市の空港の方がまだ整備されている感じ。

 空港からハノイの市内までは30分ほど。今年はフエで大きな洪水があるなどベトナムは異常気象で雨が多いらしいのですが、この日も雨。結構な降りなのですが、ベトナムの人たちはノンと呼ばれる頭に乗せた帽子をかぶってカッパを着ているだけでバイクに乗ったり、歩いたり、自転車に乗ったり。歩いている人でも、傘をさしている人はほとんど見かけなかった。

 道路は市内に向かう途中ではすいていたのですが、ハノイの市内に入るともの凄いバイクの数。四輪自動車1台に対して20台くらいのバイクが走っている。ベトナムではバイクのことを「セ・ホンダ」というらしい。スズキなどなどのメーカーの車もなくはないが、圧倒的にホンダが多い。年収が12万円とか20万円の国で、バイクは一台20万ぐらいするものが多いらしいのですが、中古で買ったり。手先が器用で、直しがうまいのだそうです。

 ドイモイ(ベトナム版改革解放)で外資がベトナムに入り始めたのは、90年代に入ってからだそうですが、その結果ここ4〜5年で様相は大きく変わってきているらしい。確かにハノイの市内のあちこちには高層ビルが建ち始めている。つい一年前にはハノイの市内にもほとんどなかった「交通信号」のここに来てかなり出来てきているようで、その信号の変化と同時に一斉に走り出すバイクの数は凄まじい。

 それでも、町の印象は「つい最近まで社会主義の国だった」ことを想起させるものです。まだ一般の店にならんでいる商品は少ないし、1990年に行った東ドイツやポーランドを思い出しました。貨幣単位も当時のポーランドの商店でチョコレートに何万ズロチと値札が付いているのを思い出しました。今大体1円が130ドン。で、1万円をベトナムの通貨に換えてもらったら、130万ドンですから、壮絶な厚さになる。

 最高紙幣が5万ドン(500円)ですが、ベトナムの人たちはこの5万ドンの紙幣もあまり使わないらしい。当時のポーランドや東ドイツ(今はどうなっているか知りませんが)を想起しながら思ったことは、「たった40年、50年という人類の歴史の中では一瞬の時間の中での体制の違いが、人々の生活をこれほど大きく格差のあるものにしてしまうのか」ということです。幸せかどうかというのは、主観が入るから推し量れない点がある。しかし、社会主義が世界中でその圏内に済む人々の生活を貧しくしたことは間違いない。
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 ベトナムには、インターネットのプロバイダーが一つしかない(ようです)。私が調べた範囲では。で、弟が使っているプロバイダーにつないで情報の取得は全く問題なくできましたが、最初メールの返信(受信はできる)とFTPがなぜかできなかった。まあ、メールは直ぐにホットメールに切り替えましたが、FTPにはまいった。その後 digiweb だけは回復しましたが。まあこれは、ベトナム側の事情と言うより、私が使っている日本のプロバイダーの問題でしょうが。ベトナムにはあと2日くらいいる予定です。


99年11月07日(日曜日)

 ベトナムはお金と言えば、「紙幣」しかない。つまり、「硬貨」がない。確かに、作るとなればコインの方がお金がかかるでしょう。しかし、正直なところ私は硬貨のないある国の通貨というのは今まで知らない。オストマルクを使っていた東ドイツでも、ひどくちゃちだったものの、コインはあった。

 100ドンが一円弱。日本だって一円が硬貨の最小単位ですから、たしかに50ドンとかいう硬貨を作る必要はないのかもしれない。で、その1円に相当する100ドンには、硬貨ではなく、ちゃんと紙幣があるのです。非常に少数ながら。私も一枚ゲットしましたが、この紙幣はあまりにも少ないが故に、ベトナムの人も「ある種のお守り」として持っているという。

 では端数、つまり100のドン以下の数字はどうなるのか。たとえば何でも良いのですが、5450ドンというようなときに、6000ドンを出したとする。100ドン以下はもともとないので、全部切り捨てになるケースが多いようです。ホテルで食事をして、端数が出てもお釣りが帰ってこないことがある。100ドン以下はなしなのですから。逆に、消費者が得をするときもあるらしい。

 これは考えようによっては、旅行者にとってなかなか便利です。あの硬貨群が重い。で、旅行をするとそれがたまる。持って帰っても、改めてその国に行くときにその硬貨を最初からポケットに入れて持っていく気はしない。ベトナムにはそういう心配がない。紙幣なら、軽くて良いというわけです。その代わり、紙は汚く、デザインは全部ホーチミン。数字をよく見ないと、間違える。まあ、ベトナムではいつまでたっても、ポケットの中の硬貨は日本の100円玉や50円玉で、その他の硬貨は増えない。

 ハノイのタクシーの初乗りは14000ドンとか15000ドンとかです。つまり、140円とか、150円。結構乗っていられる。南のホーチミン市に行くともっと安いそうだ。8000ドンとか、10000ドン。80円から100円。物価はメチャ安いので、「ではいったい年間いくらあれば暮らせるのか.....」。中国は大体100万円で一年間暮らせると数年前に中国に行ったときに聞いた。ベトナムでは大体50万円あれば、メードを雇ってまずまずのところに住んで暮らせるそうだ。なかなか魅力的なプライスですね。
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 人々は何によって生活を支えているのか。軍隊あり、公務員あり、まあいろいろな産業は出てきているのでしょう。タクシーも多かった。軍隊は、ベトナム戦争が終わってからあまりやることがない。で集団で農場を手伝っていたりするそうだ。それでも、キャッシュの入る職業の人は多くはない。で何が盛んかというと、「物物交換経済」。ハノイもちょっと出ればあちこちにある市場ではコメを持ってきた人が、野菜を売りに来た人と交換して帰る、といった光景が展開しているのだそうだ。

 ハノイはちっちゃな商店の集合体のような町です。それが面白いのはホテルの周りもそうなのですが、家電製品の店は集まっている。ケーキ屋はまた集まっている。葬儀屋も集まっている。何でもある程度集合するのだそうです。でも一つ一つの店は非常に小さい。そこに一人、二人の店員を置いて営業している。全体的な印象は良い悪いの問題は別にして、40年前にタイムスリップしてきたような印象です。

 人々は親切です。どうも聞いていると、ベトナムの人々はベトナム戦争を戦い、あちこちに爆弾を落とされたアメリカに対してよりも、中国に対して依然として敵対意識を強く持っているようです。敵対期間の長さの違いでしょうか。ベトナムのエリートは昔は東欧諸国やソ連に留学した。今は大部分はアメリカに行くのだそうです。日本に対する接し方は全体的には良いようです。日本人はどこでもそうですが、お金離れはよいし、あまりしつこくない。良いお客様という訳です。

 そういえば、ベトナムでは商品に値札というのは付いていない。タクシーが明確に出ているのが不思議なくらいです。大部分の商品はネゴが効く。「ここは fixed price ですから」といっていた店に行って値切ったら、ちゃんと安くしてくれた。交渉しないと損な国なのです。というか、お互いに片言の英語か何かで交渉をするのは、なかなか楽しいものです。


99年11月08日(月曜日)

 ベトナム、特に北のハノイは日本で予想していたほど暑いところではなかった。季節が冬に入ってきたということはあるのですが、長袖がないと夜は寒いし、現地の人々は今はかなり厚でのものを着ている。CNN の天気予報で温度を比べていったら、最高温度は東京の方が高いくらいで、ハノイの温度域は上海ともあまり違わない。まあ、この数日間ハノイが晴れたのは一瞬で、ずっと雲が垂れ込めているという事情もあるかもしれませんが。油断したら、ちょっと風邪気味になってしまいました。

 フエの洪水は CNN でもかなり大きくやっていましたが、実際に今年のベトナムは異常気象なのだそうです。ハノイには小さな日本人学校があるのですが、「秋は一番雨の確率が少なく晴れるだろうから」と先週の日曜日に大々的な運動会を国立競技場を借りて、 rpt 国立競技場を借りて大々的に催す予定だったら、見事に裏切られて雨。で、今週の水曜日と木曜日に借り直してやるそうなのですが、今の天候だったらそれも危ない。初めての私にとっては、ハノイは雨と凄い湿度の印象が強い。

 少し郊外に出てみましたが、いろいろ面白いことを発見した。ハノイというのは漢字では「河内」と書くのだそうです。実際にそうで、二つの河に囲まれている。で重要なのは、河の水位の方がその囲まれた地域(つまりハノイ)の地面より高いという点。だから、大きな堤防が築かれていて、そこが道になっている。そして、その道に立ってみると、いかにハノイがあぶなっかしい立地条件に立っているかがわかる。両方の河が洪水して、ハノイが水浸しになる危険性は非常に高いように見える。ガイドが言うのです。ハノイは首都だからフエのようにはならなかった、と。つまり、地理的な事情は同じだというのです。

 たぶん、ベトナムの歴代王朝にとっては治水が大きな課題だったのでしょう。川底は河が上流からさらってくる土砂でコンスタントに上がってくる。河の流れを変えようとしなければ、堤防を高く立派にする必要がある。それが続くと、河の水位が高くなる。ベトナムでは河の中の両岸、中州などに家がいっぱい建っているのですが、それらの家は堤防の外の家よりかなり高く聳えている。堤防を降りて、堤防外の家に行く形になっている。むろん、違法建築だそうですが土地の所有権は国が持ち、住民は家の所有権を持つ国ではあまり「どこどこに建築してはいけない」ということはないらしい。
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 ベトナム戦争と97年のアジア危機の影響はまだかなり強く見ることが出来ました。田圃の中に大きな水たまりが時々見える。アメリカ軍が爆弾を落とした後であることが多いという。むろん不発弾もかなり見つかっているらしい。ハノイに繋がる多くの橋はベトナム戦争中に空襲で破壊された。で、ある橋は1988年にソ連との協力で完成したとかいった状況。経済発展が遅れたのも無理もない。

 アジア危機は、通貨ドンの相場を見る限りでは、あまりベトナムに大きな影響を与えていない。しかし、たとえばアジアが活発な動きを見せ、ベトナムが注目された90年代の半ばに立案されたプロジェクトは98年とかに完成したものもおおいそうですが、それらはホテルなどにしろかなり苦しいらしい。日航とか大宇とかいろいろ出来ているのですが、夜に明かりがついている部屋は数えるほどしかなく、「従業員を泊めている」といった噂が流れているところもあった。

 しかし町そのものには、活気があります。道路を行き交う無数のバイク。よく見るとかなり良いマシンも徐々に入ってきているようで、皮ジャンパーを着て後ろに女性を乗せて夜遅くまで乗り回している。商店も結構夜9時頃まで開いている。乞食はあまり見かけない。いないわけではないが、プライドは高い国民で「なかなか使うのは難しい」という声も。

 壮絶なのは、交通事情です。海外の日本人学校を慰問して歩いている永 六輔さんがつい一ヶ月くらい前にハノイに来て日本人の集まりで講演して、「道路事情には驚いた」と言っていたそうですが、事実その通りでなんというか凄い「あんうんの呼吸」で皆運転している。一応右側通行なのですが時に逆流してくる車もあれば、数では圧倒的に多いバイクが2車線を寡占状態で走っていることも多い。

 危険だからクラクションが終始鳴っている。で、それを聞いてもベトナムの人々は特に驚く様子もない。このクラクションのラッシュは、朝の6時過ぎには始まります。ホテルの部屋にも入ってくる。昼に実際に町に出ると、もっと凄い。永さんは、「本当に接触する直前まで相手を信頼する....っていうこの....」というような話をしたらしいのですが、確かにその通りであと2センチ(で事故だった)といったようなことは日常茶飯事なのです。それでも、町全体とすれば動いているという印象はする。


99年11月09日(火曜日)

 バイクが多いハノイ市内の交通予定表を改めて見て「ハノイからシンガポールに行くのに何でこんなに時間がかかるのか」と思ったら、チケットでは気が付かなかったものの、ホーチミン市で乗り換えだったのです。しかも1時間半以上もの待ちで。ハノイでのデパーチャーが国内航空ロビーに誘導されたので、「ありゃ」と思ったことから分かった。チケットなんかあまり事前には見ませんから。

 おかげで、空の上からですがベトナムを北から南まで見る機会が出来ました。全体的な印象は「なんと川の多い国か」という点です。洪水が起きるほど雨が降ったのでその印象が強いのかもしれませんが、河、川が蛇行してあちこちを流れている。しかも、上からですからよく分からないのですが明らかに冠水していると思われる畑や田圃が見える。飛行経路から見て右側には山があるはずですが、それは見えない。広々とした平野が広がっているわけです。ホーチミンが作戦会議に使った机と言われている。質素な住居の下にある
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 ホーチミンシティー(旧サイゴン)の空港(ちゃんとした名前がありました)には1時間半くらいしかいなかったのでその印象しかないのですが、空から見るとこの街はハノイよりも明るい感じがする。建物がシロを基調としているのです。ハノイは茶色だったように思う。まあ温度が違いますわね。ホーチミンに降りるときに、「今31度」と言っていましたから、ハノイとは随分と違う。直前のハノイは21度くらいだったと思う。

 ホーチミン市の空港の周りはハノイの空港より雑然としていて、何をしているのか分からない人間達がいっぱいたむろしている。しばしばホーチミン市に来る弟の話だと、町を歩くと「お」が付く職業の方々が列をなすのだそうです。その列が自分に付いてくる(誇張もあるでしょうが)。ハノイでは、その種の方は小さな子供を抱えた物乞いの子供が一人いただけです。それにしても田圃が丸く抉られているようなところが多い。空から落ちてきた爆弾が爆発して出来た窪みのようにも見える。人影も少ないハノイの空港のデパーチャー用のビル

   結局ベトナムには70時間弱しかいなかった。また来たいところです。たぶん、この国は5年たったら大きく変わっていると思う。ここで工事で大勢の人間を使っている弟によると、人々のプライドは高い。しかしベトナム的非効率がまだまだ跋扈しているそうです。非効率が良いか悪いかの議論は別にして、こうしたものも徐々に変わっていくのでしょう。
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 ハノイからシンガポールは1時間15分だとアナウンスが言っていました。ハノイからホーチミンが2時間、ホーチミンからシンガポールが1時間ちょっと。ダイレクトなら3時間ちょっとで行けるということですが、乗り換えが入ってまるで一日仕事でした。

 チャンギに降りて入獄、おっと「入国」手続きをしていたらカウンターの上に飴が置いてある。これは食べて良いのかと聞いたら「どうぞ」と。飛行機の中に長い間閉じこめられた乗客(観光客が多いのでしょうが)にまずは飴で甘くお出迎えということです。そこら辺が、シンガポールのシンガポールたる所以でしょう。まあ正直言って、向こうの出方まで想像が付くという意味では、シンガポールに到着すると安心します。ベトナムでは少なくとも街中に軍人が難しい顔をして大勢いた。彼等の行動は必ずしも予測できない。

 出迎えてくれた熊沢君やホテルのレストランで一緒になった伊藤君の顔を見たら、シンガポールはますます懐かしくなりました。


99年11月10日(水曜日)

 シンガポールで聞いた話は、「経済復活へのかすかな足音」という話でした。それがアジア全体に直ちに広がる話かどうかは不明ですが、少なくともシンガポール市場では労働市場が徐々に締まってきているらしい。転職が盛んになってきているという。辞めても他に行くところが出てきていると言うことです。

 それはここで実際にビジネスをしている人も感じているらしい。モノが動き出している、という印象も数多く聞きました。しかし、日本のビジネスマンの「日本経済評価」は実に辛い。彼我の差というようなものを毎日感じているからでしょう。日本経済の先行きに対する危機感で溢れている。

 聞こえてくるのは、GEをはじめとして力を付けてきたアメリカの企業に対する畏敬の念であり、そのシステム思考のすばらしさに対する賞賛です。日本は局部の製品や部品では依然として強い力を持っていることを認めながらも、全体を見る、全体を組み立てる力の弱さ故に、ビジネスを失うケースが多いと。たとえば光りケーブルの単品の性能、出来具合ではどこにも負けない。しかし、それを使ったシステムとしての受注は、単品としてみればそれほど大したことはないアメリカのメーカーなどに負けるというのです。

 その業界の人がたまたま居たということかもしれませんが、アメリカの企業で名前が挙がってきた、最近強さを示しているそれとして名前が挙がってきたのは、GEやルーセントでした。ATTの子会社として出発したルーセントは、たとえばシンガポールではほとんど人員構成の面で現地化している。しかし、今はそうした現地化を進めた中でも、今は世界で連戦連勝だというのです。
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 今日もそうでしたが、明日も講演をこなしながら多くの方に会うことになっている。出張が良いのは、一挙にいろいろな方と会えることです。
ycaster 2000/12/03)



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